2011年05月19日

上海帰りのリル

はやらない店であっても、店番をしていると毎日色々なお客が来ます。光風舎は古本のほかにも、CDやレコード、ビデオやDVDなども扱っているのでその幅は広いのです。
今日のお客さんは最近レコードプレイヤーを手にいれたという方で、津村謙のレコードを探しに来たのです。
古い私でも津村謙という歌手のことはすぐには思いあたりません。ヒット曲が「上海帰りのリル」と聞いて、ようやくその糸口がつかめました。昭和26年に発売されたというこの曲、当時赤ん坊だった私も歌えるのです。
海を見つめていた  浜のキャバレーにいた
覚えているものです。
以下ウィキペディアの説明です。

津村 謙(つむら けん、1923年12月12日 - 1961年11月28日)は、富山県下新川郡入善町出身の歌手。男性。本名:松原正(まつばら・ただし)。妻は元宝塚の大国阿子。
魚津中卒業後、上京し、江口夜詩の門下となる。1943年(昭和18年)、テイチクからデビューしたが、まもなく徴兵される。
1946年(昭和21年)、芸名を津村謙として再デビュー。この芸名は、戦時中に発表されて一世を風靡した映画『愛染かつら』の主人公・津村浩三の「津村」と、それを演じた俳優上原謙の「謙」を取ったものである。
しばらくヒットに恵まれなかったが、1951年(昭和26年)に、「上海帰りのリル」(作詞:東条寿三郎、作曲:渡久地政信)が大ヒット。(後に根津甚八がカバーする。)一躍大スターになる。この曲は、1957年に松本清張が『別冊・文藝春秋』に発表した「捜査圏外の条件」[1]にモチーフとして使われており、発売後6年経過した時点でも、人々に口ずさまれていたことがわかる。「上海帰りのリル」の大ヒットに便乗して、他社からもリルと銘打った楽曲がいくつか発売されたが、「上海帰りのリル」を超えるリルソングは生まれなかった。なお、リルとはmy little daringの略であるとされている[2]。

偶然の一致とは不思議なものです。この歌手、誕生日が私と一緒でした。さらに、出身地の富山県入善町は大学の時の友人H君とおなじです。彼は大学を出た後、大阪の会社に就職したのですが、何を思ったか出家して永平寺に入りました。今は鳥取市の寺の住職になっています。年賀状のやりとりはあるのですが、出家してからの彼には会っていません。H君は津村謙と同郷でした。彼はそれを知っているのだろうか。
松本清張の短編のモチーフにも使われているのだとか、これは未読です。どんな風に使われているのでしょう。清張の作品には30年代の風俗が丹念に描きこまれていますから、読んでみたくなります。
津村謙、上海帰りのリル、H君、松本清張と想像の輪を広げて楽しませてくれた一日でした。



Posted by 南宜堂 at 00:50│Comments(2)

この記事へのコメント

カラオケで良く歌います。
Posted by ちはる at 2011年05月19日 15:40
ちはるさま
今でも歌う人が多いのですね。
昔の歌は息が長いですね。
Posted by 南宜堂南宜堂 at 2011年05月19日 19:57

 
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