2008年02月03日

節分と善光寺と高倉健と

 節分です。善光寺の節分といわれて思いつくのは佐良直美と高倉健です。佐良直美さんは一時毎年のように来ていました。高倉健のことは彼のエッセイ集「あなたに褒められたくて」を読んでからです。昭和30年代、高倉健は何回か善光寺の節分に招かれているようです。それをきっかけに毎年節分には必ず善光寺にお詣りするようになったといいます。「それにしても、善光寺に来るとなぜこんなに清々しく、すっきりと気持ちがいいんだろう。」と自問してみるのですが、気がかりにはなりながらその答えが見つけられないでいました。
 それが一通の手紙を契機になんとなく彼の中で腑に落ちるようになったのだといいます。その手紙というのは九州の大学の先生からのものでした。「あなたのご先祖に、小田宅子という人がいらして、今から約百五十年ほど昔、「東路日記」という紀行文を残されていますが、」という書き出しで、この小田宅子が天保12年善光寺まいりをしたことを教えられたというのです。実はこの話以前紹介したことがありますのでまたまた再録させていただきます。

 伊勢まいりと並んで善光寺まいりは「一生に一度は」訪れたいと思っていた霊場です。天保年間、九州筑前の国から伊勢まいりと善光寺まいりの旅をした小田宅子という商家の内儀の旅日記「東路日記」を見てみましょう。小田宅子は五十代、当時はもう老人ともいっていい年齢ですが、思い立って仲間の女性たちと長い旅を敢行したのです。
 残念ながら、原本を見ることができなかったので田辺聖子さんの「姥ざかり花の旅笠」からその日程を引用させていただきます。善光寺まいりの当日、一行は朝篠ノ井追分を立ちます。丹波島で犀川を渡りますが、当時は橋はなく渡し船でした。長野の町に入るとまずかるかやさんに詣ります。
 善光寺の宿に入ったのは夕方近くになったようで、その日はお詣りせず宿に向かいます。善光寺まいりですから宿坊に泊まるのですが、前に述べたように持ち郡制というものがありますから筑前の指定宿である野村坊に泊まることにしました。
 明けて翌日は早起きしてお朝事に向かいます。そこで大勧進貫主さま、大本願上人さまからお数珠をいただき、読経を聞きます。その日は戒壇めぐりをしたり境内のあちらこちらを見て歩きます。
 その夜は善光寺まいりのクライマックスともいうべきお籠もりを体験します。お籠もりは今は行われていませんが、当時はこれが目的で善光寺まいりをする人が多かったのです。本堂に籠もり善光寺如来と一夜をともにするもので、参拝者たちは極楽にいるような法悦を味わったことでしょうが、後に風紀上の理由から禁止されてしまいます。
 というわけで、小田宅子らの一行は、善光寺に二泊して旅立つわけですが、当時の善光寺まいりはこれが普通だったのでしょう。

 この小田宅子という女性が、高倉健さんの父方の何代か前のご先祖様であったというわけです。今はもう健さんは節分に善光寺まいりをすることはなくなって、思いついたときに詣っているようですが、善光寺という寺、時代を超えて親しかった人に出会えるような、そんな気持ちにさせてくれる寺であるようです。



Posted by 南宜堂 at 02:07│Comments(4)

この記事へのコメント

長野に生まれ育っていますが、善光寺の節分は、数えるほどしか行っていません。去年は数年ぶりに行きましたが、結局サイコロキャラメルの1つも拾えませんでした!(笑)今年は、もう行かれません。。。せっかく日曜日と重なるのに。。去年は土曜日でした。。

ですが!遠い遠い昔「高倉健さん」の豆まきに来られた姿を拝見した記憶があります〜〜〜!!!
裃姿が、本当に凛々しく、「スター」の風格だった記憶が!!!
(今は違うと思いますが??善光寺木遣りの行列と一緒に豆を蒔きにきている来賓の中で芸能人の先頭木札が「スター」と墨で書かれていたのが衝撃だったので覚えています)
高倉健さん、また善光寺の節分に来てくださればいいのに。。!!!

高倉健さんといえば、私は日本映画が好きで、大昔の健さんの背中に花模様があったことは聞いて知っていますが(笑)仁義映画はさすがに見たことはありません。

浅田次郎原作だった思うのですが「鉄道員」!!
向田邦子原作「あ、うん」での健さん!!
「不器用ですから。。」の
コマーシャルとか記憶にあります。

渋いです!まさに男のロマンです!一昨年だったか「たんき、千里を走る。。」???というような中国に健さんが映画を撮影にいった作品は観たかったけれど、観ていません。。。

健さんと善光寺は、そのようなご先祖様との縁があったということなのですね。
Posted by みうみうBETTY at 2008年02月03日 07:58
みうみうBETTYさま
「飢餓海峡」の高倉健
「昭和残侠伝」の高倉健
「幸せの黄色いハンカチ」の高倉健
彼は時間と共にだんだんと無口になっていくようです。
人が心に想うことは誰も止められない。
健さんの映画「居酒屋兆治」の主題歌にもなった加藤登紀子の「時代遅れの酒場(だったかな)」の冒頭のセリフですが、無口は心に想うことを深めるのかも知れません。饒舌な老人は自戒を込めてそう想うのです。
Posted by 南宜堂南宜堂 at 2008年02月03日 10:48
高倉健と善光寺の話は、初めて聞きました。
不思議な縁なのですね。
昔のやくざ映画時代は、嫌いだったのですが、最近男の在り方を
見せてくれています。
還暦を迎える私ですが、昔の大人に感じたものが、自分にはないこと
に気づき愕然とします。
Posted by 元ベース弾き at 2008年02月03日 17:12
元ベース弾きさま
私は昭和残侠伝の健さんも好きでした。
団塊ど真ん中ですね。
人間というのは時代によってそれほど変わるわけではないように思いますが。まわりが年を重ねても自分だけは年を取らないのですね。
人から見れば年相応に大人なんだと思いますよ。
Posted by 南宜堂南宜堂 at 2008年02月04日 09:37

 
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