2008年02月11日

渡来した人々

 古代の信州善光寺平には、朝鮮半島から渡来した人々が多く住んでいたということがいわれています。 彼らは都から正式に遣わされて、技術や文化を伝える役割を果たしたのですが、それとは別に直接ここ善光寺平にやって来た人々もいたのではないかと主張する人もおります。古代のことですから、税関もなければパスポートもいりません。こんな説を主張しているのは誰あろうミステリー「赤い馬」に登場する美矢島教授です。フィクションだからといって馬鹿にしてはいけません。この作者北枝さんは善光寺についてそうとうに勉強しています。朝鮮半島から丸太を藤蔓で縛った筏で、穏やかな季節なら4~5日で新潟あたりに漂着するといいます。
 美矢島教授の説によれば、新潟のどこかに着いた人々は陸路この善光寺平にやってきて、千曲川と犀川が合流する恵みの地の大地に自分たちのムラをつくって住みはじめたのではないかというわけです。彼らは故郷から大切に持ってきた仏像をまつる寺をつくります。それが善光寺であったと美矢島教授は結論づけます。
 「善光寺縁起」にいわれるように、善光寺が飛鳥時代にここ善光寺平に建立されたとして、それは全国に国分寺や国分尼寺が建てられるずっと以前の話です。その時代、信州という辺境の地で多くの人々によって仏教が信じられていたことなど考えられませんから、善光寺は朝鮮半島から渡来した人々によって創建されたというのは説得力のある説です。
 「善光寺縁起」には、「如来天竺五百歳にして百済に飛来し給う。百済の教化千十二年聖明王(縁起に推明王)の時仏勅有りて我朝に渡し奉り、難波浦より大和金刺宮に入る。使者達率怒利斯致等なり。」とありますが、善光寺如来が朝鮮半島からやってきたという説は、この部分にも合うのではないかと思われます。



Posted by 南宜堂 at 19:57│Comments(0)

 
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