2008年02月22日

シナノノクニ はじまりを見に行く

 久々のシリーズです。
 私たちは長野県民というよりどうも信州人という方がピンとくるようです。これはどうも明治時代に筑摩県と長野県が合併したときのしこりがその元にあるようにも思います。信州はすなわち信濃の国、この呼び名はもう「日本書紀」の頃には定着していたようです。それ以前は「科野」という漢字があてられていたようです。
 平安時代の資料「和名類聚抄」には信濃の国として次の郡が載っています。
・伊那
・諏訪
・筑摩
・安曇
・更級
・水内
・高井
・埴科
・小県
・佐久
 です。
 ところで「シナノ」という呼び方はいったいどこから来たのか、どこかの地名から取ったものなのでしょうか。賀茂真淵はその語源を「階坂(しなさか)」にあるのではないかと述べています。「シナ」は険しいという意味、「サカ」は峠を意味するということです。ですからシナノは「険しい峠の国」ということで名づけられたのではないかということです。
 もうひとつ有力な説は「科ノ木」語源説です。シナノキは現在ではほとんど見られません。私も見たことはありません。しかし、昔は繊維の材料として信州の山野には多く見られたといいます。つまり、シナノキの多い国であるということから「シナノノクニ」と命名されたのではないかという説です。長野高専の校章はこのシナノキをかたどったものです。また「科の木書房」という優雅な名前の出版社がありますが、多分語源はこれでしょう。
 この二説は多くの本に書かれていて有名ですが、考古学者の森嶋稔先生は次のような説を唱えています。シナノのノは野ではないかというのです。美濃とか上野とか下野とか昔の国名にあるノは、古代はヌと書きますが、「山側の緩斜面、平らかなる所」という意味なのだそうです。そしてシナノのシナはノを修飾する語で、森嶋先生は「シナシナと曲がりくねった細長い」という意味なのではないかと言っておられます。
 森嶋先生はさらに「シナシナと曲がりくねった細長い」というイメージからこれは千曲川のことではないか、つまり「シナヌ」は千曲川流域のどこかを指しているのではないかというのです。そして、森将軍塚のある千曲市森のあたりを「シナヌ」を表す具体的な場所と想像しています。
 これは大いに異論のあるところでしょうが、前方後円墳をつくるだけの王権がここに存在したのは確かなようです。そういうわけで、シナノノクニのはじまりではないかということで、千曲市の森あたりに行ってきました。



Posted by 南宜堂 at 23:34│Comments(0)

 
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