2011年10月05日

私は普通の古本屋を目指す。

 そろそろ今年の冬の暖房対策をと考えていた矢先、長野では11月下旬並の寒さに襲われた。何事も泥縄式の光風舎はまだ何も対策はしていない。近くのブックカフェひふみよさんはこたつで今年の冬は乗り切るらしい。彼の発想はなかなかユニークで、しかもお客さんの願望を実に的確にくみとっている。厳しい時代確実に生き残っていけるのではないか。
 こたつといえば、当店に時々見える元古本屋のOさんは店内にこたつをつくっていたという。信州の冬にこたつは欠かせない。しかし、当店にはどうも向かないようだ。

 ここに店を構えてそろそろ1年、店の商品にだいぶ品薄感が目立つようになってきた。なかなかいい本は手に入らない。そんな時につん堂さんからありがたい申し出があって、店内につん堂文庫を設けることになった。まだ本格的には並べられてはいないが、今月中にはユニークなコーナーができるはずである。

 ユーストリームで、小沢一郎と市民との対話の動画を見た。市民の側は普通の市民であることを強調していたが、普通でない市民というのはあるのだろうか。むしろ彼らは今の政治や原発問題に強い危機感を抱いている先鋭的な市民なのではないかと思う。普通の市民はお笑い番組やワイドショーを見てゲラゲラと笑っている。私もその仲間のようだ。
 先日テレビをつけたら「ミヤネ屋」で林家三平の家の結婚式の話題を流していた。落語家の結婚式がなぜ話題になるのかよくわからないが、それにしても宮根もコメンテーターもなぜああも林家におべんちゃらを言わなければならないのか。芸能界というのはああやってヨイショのしあいでもっているのかと思った。
 最近テレビや新聞に不快感を持つようになったということは、私も先鋭的な普通の市民に仲間入りできる資格ができたのだろうか。しかし、彼らのこともあれで好きになれない。中途半端だと思う。

 普通の市民がいて、過去には普通の女の子や普通のオバサンになりたがった芸能人もいた。そして私らは普通の古本屋を目指しているのだが、これまた説明しにくい概念だ。要するに今は普通でないユニークな古本屋がけっこう頑張っている時代なのだが、そういうセンスを持たない私たちは普通の古本屋を目指すしか方法がないということだ。



Posted by 南宜堂 at 13:30│Comments(0)

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。