2008年03月23日

世捨てについて その2

 西行は23歳で出家していますが、それまでは武士でした。俗名を佐藤義清といって、先祖をたどればあの俵藤太にたどりつくという由緒正しき武門の出です。
 この時に西行には妻子がおりました。そんな境遇にあった男がなぜ出家の道を選んだのか、当時もいろいろな憶測が乱れ飛んだようなのです。曰く、この世の無常を悟ったためとか、叶わぬ恋がその原因であるとか。ただその真相は千年も昔のことですから、霞の彼方にあって、わかる道理もありません。伝説によれば、すがりつく幼い娘を投げ捨てて出家したとか。そこまでして世を捨てなければならないものだろうかと思ってしまいます。
 しかし、結果的に見て、西行の出家は徹底したものではなかったように思います。僧体になったものの、山奥に隠棲するわけでもなく、相変わらず都の近くに住んで、結構俗界との交わりもしていたようです。娘を投げ捨ててまで出家したというには生ぬるいような気がいたしますが、西行当人にしてみれば予定の行動だったのかもしれません。出家といってもそれは決して世を捨てて隠棲するということではなく、世のしがらみから離れて、歌に旅にと自由に動き回りたいという願望からの出家だったのでしょう。心の自由を確保するための出家といったらいいのでしょうか。
 西行の生きた時代は平安時代の末から鎌倉時代にかけてで、鳥羽院の北面の武士という宮仕えの同僚に平清盛がいました。清盛とは年齢も一緒です。この二人同僚としてどんな交わりをしたのかわかりませんが、片や平氏の統領として天下に君臨し、かたや当代一流の文化人として後世まで名を残しました。武士の勃興する時代すごいストレスの中出世競争に身を削るも一つの生き方、そこからドロップアウトして文化人になってしまうのも一つの生き方なのでしょう。
 しかし、それにしても自分を見極めるのに23歳というのはいささか早すぎるような気がしますが。



Posted by 南宜堂 at 18:58│Comments(0)

 
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