年末の恒例といいますと「紅白歌合戦」ではなくて、そう大河ドラマの総集編ですね。大河ドラマではありませんが、ここ2日間連続で「JIN」の再放送があり、改めて感動いたしました。4月からは続編が放送されるようで、これもまた楽しみです。個人的な好みかも知れませんが、福山雅治よりも内野聖陽の方が龍馬らしいと思っています。
さてその「総集編」とやら、「烏の森風雲録」でもやってみようと思い、大方の迷惑も顧みず筆を執った次第であります。
その昔カラスはみんな黒かったわけではありません。もちろん黒いカラスもおりましたが、青いカラスや赤いカラスや黄色いカラスや、白いカラスだっていたのです。
そんな何十羽ものカラスが共同生活を送っている場所がありました。烏の森というところです。そこには長老の黒いカラスがいて、若いカラスたちからは「総裁」と呼ばれて尊敬されていたのです。
しかしこの総裁カラス、やり方がいささか強引で、しかも朝決めたことを夕方にはすっかり忘れてしまって別の命令を出すというようなところもあり、カラスたちからは不満の声も上がっておりました。
そんなカラスたちをなだめて、なんとか烏の森の平和を保とうとしていたのが5羽の組長カラスたちでした。
烏の森こと戊辰戦争研究会は総裁である星亮一氏の発案で生まれました。創立のメンバーというのは星氏の作品の読者や、彼の講演を聴いて感動した人たちが中心であったようです。この時点でこの会は星亮一ファンクラブ的なものであったというのは間違いないようです。
しかし、だんだんとメンバーが増え、必ずしも星氏のファンでない人たちも加わり、会としての幅は広がっていきました。これは会員の人たちにとってもいい傾向で、星氏と会員という縦の関係から会員同士の横の交流が生まれてきたからです。しかし、何事も自分中心に進めたい星氏としては愉快ではなかったのではないでしょうか。
ある日のこと、1羽の灰色カラスがぜひ烏の森の仲間に入れてほしいとやってきました。ここのカラスたちは「来るものは拒まず」がモットーであったので、喜んで迎え入れました。
灰色カラスこと現事務局長は創立メンバーよりだいぶ後に入会してきました。考え方も最初のハンドルネームが橋本左内という名であったことからもわかるように、必ずしも星氏と同じ会津主義者ではありませんでした。その後、この人物は神保修理と改名し、表面的には星氏のお先棒を担いでいるように見せております。
この灰色カラス、その後とんでもないことをするのですが、はじめから戊辰戦争研究会の乗っ取りを企んでいたものとも思えず、入会の意図がよくわかりません。それまではどちらかというと、幕末ファンが言うところの薩長系のサークルを渡り歩いていたようなのですが、それがなぜ会津系作家星亮一氏率いる戊辰戦争研究会の会員となったのです。
最初のうちはおとなしくしていた灰色カラスですが、だんだんと共同の生活を乱すような行動をとりはじめたのです。
戊辰戦争研究会ではこの灰色カラスは異質の存在であったようです。掲示板での目立つ発言、あからさまな総裁へのおべっかや付け届け、いずれも会員の顰蹙をかうものでした。それでも、見た目は親切でちょっとしたプレゼントなども会員にしたりするので、灰色カラスを好むものもいたようです。いつのまにか関西支部長という幹部に登用されたのです。それは総裁の鶴の一声で決まったのは当然のことです。
星亮一氏がどうしてこの現事務局長氏を重用するようになったのか、これは想像するほかはないのですが、元会員のみなさんが口を揃えて言うように、プレゼント攻勢が功を奏したのでしょうか。
それもあったでしょうが、星氏の独走に嫌気がさして、だんだんと距離を置き始めた幹部たちに対し、灰色カラスは一見親身に総裁に尽くすポーズをとったからではないかとも思えます。思い当たる節はあります。
星氏はその作品の質から結構ネットで叩かれていました。これを本人はどの程度知っていたのか。灰色カラスはそんな情報をいちいち星氏に知らせ、それを懸命に打ち消している姿を星氏に示していたようです。
表面に出てきたものでは、例の明智小五郎・歴女軍団事件があります。あれは星氏のホームページである人物を名指しで批判し、攻撃した二人の掛け合い漫才のようなものと思っていたのですが、灰色カラスはウィキペディアなどで懸命に星氏に不利益な情報を打ち消そうとしていたのです。これは幹部会員の誰もがやってくれなかったことです。星氏が感激しないはずはありません。私がその立場に立っても、この灰色カラスはうい奴よと思うでしょう。