2013年03月16日
町屋古本市雑感
今回、町屋古本市に一緒に参加しているバリューブックスのSさんが、フェイスブックで古本市のようすを写真で紹介している。郷土玩具の赤ペコと古本、器と古本、あるいは福助や招き猫との組み合わせの写真もあった。いずれも会場である「十二天」で展示販売している商品とのコラボレーションである。Sさんは詩人である。
私のような散文的な人間はこのブログの写真のように本棚しか写さない。これではせっかくいい空間での古本市もその良さが伝わらないというものである。実は私は今回の古本市について、十二天のような空間に古本を置くということについて不安に思っていた。お客さんが戸惑うのではないかという懸念もあった。
しかし、本を並べてみると違和感がないのには驚かされた。そしてこれは雑誌のような空間ではないかと、そんな思いに駆られたのである。「太陽」や「銀花」といった落ち着いた雑誌を開いているような感覚なのだ。本はモノなのだ。形があって、装丁があって、文字がある。1冊1冊の本がモノとしてギャラリーの空間に収まって、赤ペコや藍染めの小物と共鳴している。
新しい発見であった。電子書籍の普及で紙の本がなくなるのではないかという不安がある。紙の本が出版されなければ古本屋も立ちゆかなくなる。しかし、この会場を見ているとモノとしての本は結構しぶとく生き残っていくのではないかと思った。
長野市東後町 ギャラリー「十二天」で町屋古本市開催中です。月・火はお休み。3月末日まで。
私のような散文的な人間はこのブログの写真のように本棚しか写さない。これではせっかくいい空間での古本市もその良さが伝わらないというものである。実は私は今回の古本市について、十二天のような空間に古本を置くということについて不安に思っていた。お客さんが戸惑うのではないかという懸念もあった。
しかし、本を並べてみると違和感がないのには驚かされた。そしてこれは雑誌のような空間ではないかと、そんな思いに駆られたのである。「太陽」や「銀花」といった落ち着いた雑誌を開いているような感覚なのだ。本はモノなのだ。形があって、装丁があって、文字がある。1冊1冊の本がモノとしてギャラリーの空間に収まって、赤ペコや藍染めの小物と共鳴している。
新しい発見であった。電子書籍の普及で紙の本がなくなるのではないかという不安がある。紙の本が出版されなければ古本屋も立ちゆかなくなる。しかし、この会場を見ているとモノとしての本は結構しぶとく生き残っていくのではないかと思った。
長野市東後町 ギャラリー「十二天」で町屋古本市開催中です。月・火はお休み。3月末日まで。
Posted by 南宜堂 at 08:23│Comments(0)
│古本屋の日々