2010年05月22日

ネット社会の非常識 まとめ

 邪魔者を排除する為に偽装解散した某研究会のことを怒りを込めて書き記してきたのだが、果たしてこれは私憤なのか、公憤なのか、一寸立ち止まって考えてみた。天下の公器と呼ぶにはおこがましいような個人的なブログであるので、私憤でもかまわないようなものだが、少数とはいえ、熱心に読んでいただいている方々に、自分の怒りをぶつけるのは申し訳ないし、また見苦しいものでもある。
 出発は私憤である。しかし、なるべく普遍的な問題として考えてきたつもりである。いくつか問題が浮き彫りにされたように思うので、ここで少し整理してみようと思う。
 私たちが暮らしているこの空間を社会という。あるいはもっとくだけて世間と呼んでもいいかもしれない。全地球を覆うような社会もあれば、日本という国の単位の社会もある。社会というのはいろいろな考えの人が、いろいろな生業をもって暮らしている社会だから、自ずからそのルールというのが必要になってくる。円滑に社会を営んでいくためのルールである。それは道徳というものもあるだろうし、法律などもそうだろう。
 社会というのは、世界や日本という単位だけではない。大小さまざまな社会が存在する。ここにあげた某研究会も社会である。最初は数人くらいの同好の士の集まりであったものが、人が人を呼びという形で数十人規模の団体になった。そうすると、いろいろな考えの人が参加してくるわけで、決めごとなどもなあなあでは済まなくなる。規則をつくろうということになって簡単な規約ができたのである。
 まず第一の問題というのは、この規約の遵守である。今回排除された役員の人たちは、規約に則って民主的にものごとを進めようとした。会員から会費を徴収している以上は、そうするのが当然と思ったのである。
 しかし、主宰者の場合は少し違っていた。会則というものはあるのだが、自分が中心になって作った会であることだし、少しぐらい自分のわがままを通してもいいだろうと考えたのである。役員会に諮らずにいろいろなことを提案し、それに沿って会の運営をするように求めたのである。
 最初のうちは役員たちも、主宰者の意向だからと我慢してきたようだが、そういうことが重なると我慢ができなくなる。そういうことなら役員なぞいらんだろうということになって、全員が辞表を出してしまったのである。
 主宰者は慰留するのかと思ったのだが、これ幸とあっさり辞職を認め、さらに誰に諮ることもなく、普段から主宰者にすり寄っていた会員を役員会のトップに据えてしまったのだ。
 さて、この会は全国に会員がいるため、現代文明の利器であるインターネットをフルに活用し、ネット上の掲示板で意見交換をしていたのだが、役員の辞任と新役員の就任が発表されると、会員の間からは役員の留任を求める声が相次いだのである。会員たちは辞職した役員が会の為に一生懸命に働いてきてくれたことを知っていたのだ。
 ここまでが第一幕である。会社にしろ団体にしろ、形こそ違え、よくありそうな出来事である。会社であれば創業者、自分が苦労して築いてきたと思うからわがままは通したくなる。たとえば、自分の息子を後継者にしたりとか。しかし、発展する会社であればあるほどそういうことはしないものである。
 しかし、趣味の団体であれば、主宰者のわがままは許容すべきかもしれない。私は役員たちの主張は正しいが、主宰者の独裁的な言動も仕方ない、そう思っていた。役員たちの怒りは会の民主的な運営を求めるという側面ももちろんあるのだろうが、一方で主宰者に対する幻滅、あるいは反発という側面もあるのではないかと。


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Posted by 南宜堂 at 21:42│Comments(0)ネット社会
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