これもまた「薮の中」

南宜堂

2013年07月01日 10:06

 大河ドラマ「八重の桜」は昨日が白虎隊の自刃、西郷頼母家族の自刃のシーンであった。会津戦争では必ず描かれる場面ではあるが、白虎隊の自刃にいたる経緯がいままでのものとは違っていた。町に火の手が上がっているのを鶴ヶ城が燃えていると勘違いした少年たちが、もはやこれまでと腹を切ったというのがこれまでの通説であった。
 昨日の描かれ方は、城が燃えていないことは認識した上で、このまま町に下って縄目の辱めを受けるよりは死を選ぼうと自刃したというように描かれていた。見ているものにはどちらでもいいようなシーンだが、作る側にこれまでの通説を変える根拠があったのだろう。
 私は戊辰戦争はすでに、人々の生々しい記憶から離れて歴史として研究されればいいものと思っている。関係者はもうこの世にいないのだから。だから歴史としてとらえるなら白虎隊の自刃を特別なものとして見ることはないと思う。しかし、ドラマともなると一つのクライマックスであろうから思い入れたっぷりに描かれるのであろう。
 白虎隊は戦前の教育の中で、忠君愛国の象徴として称揚されてきた。だから自刃の経緯についても、城(国・主君)とともに死のうという思想を純化した形として城が燃えている(実際は燃えていないからそう錯覚したとして)という認識が少年たちにあったからとしているのである。
 戦後になると戦前の教育へのトラウマからか白虎隊のことはあまり語られなくなる。あるいは年端もいかない子どもたちが集団自決したという物語に人々は称揚するより戦争の犠牲者として同情するようになる。飯盛山はそういう観光地として人々が訪れ、山の入口では饅頭やせんべいが売られ、白虎隊の墓へはエスカレーターまで付けられた。
 白虎隊が再び注目されるようになるのは日本テレビのドラマあたりからで、その後ドラマ化されるたびにアイドルたちが出演したりして、若い白虎隊ファンが増えた。戦後の風土の中では「城と運命をともにする」などという思想はなかなか受け入れられないから、あの自刃は極限状況での集団パニックのようなものと言う人も出てくる。それは彼らがまだ幼かったからだというのだ。そうすると今度は城が燃えていると錯覚したのも幼さ故ではなかったかというような議論も生まれてくる。
 今回の「八重の桜」での描かれ方は、少年たちは日新館で学んだエリートであるから十分な判断力があるという前提で、様々な選択肢を検討した結果死を選んだということになっている。実際はどうであったのか、たった一人の生存者しかいない集団自決であるからなかなかわからない。そして見た人、語る人によって違ってくるのは芥川の「薮の中」にある通りである。ただ、これは150年前の会津でも、60数年前の日本でも同じだと思うが、喜んで死ぬものはいない。昨日のドラマでは実におびただしい人々が死んでいったが、心底喜んで死んだものはいないはずだ。

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