2012年08月03日

恩田緑蔭のこと

何度目かの松代行きを敢行した。猛暑である。こんな日に出歩くのは自殺行為である。とにかく水分を十分に取るようにして歩いた。前に松代に来た時、真田公園近くの「日暮し庵」という蕎麦屋が気になっていた。蕎麦が食べたかったわけではない。そこにあるという「恩田緑蔭ミニギャラリー」という看板が気になっていたのだ。あいにくその時は店が閉まっていた。
今日は開いていることを期待して昼少し過ぎに出かけた。緑蔭を知ったのは松代藩の歴史を調べはじめてからだった。「長野市誌」の口絵で見て、その繊細な筆致に驚かされたのだ。説明には幕末松代で活躍した女流画家であるという。「松代十二箇月絵巻」と題された絵巻物には、四季折々の松代藩の武家階級の生活が描かれている。その細やかな筆使いは見事なものだが、それと同時に200年ほど前の松代にこんな雅な生活があったということがまた驚きだった。
店は開いていたが、腹は空いていなかったのでアイスクリームをたのんだ。ギャラリーのことを尋ねると、壁際のガラスケースを指差した。せめて一部屋くらいが緑蔭の作品で埋め尽くされていると期待していた私は、これには少しがっかりした。数点の作品がガラスケースに収まっているだけなのだ。
仕方ない、アイスクリームを食べながらそこにあった「神秘なる乙女の画家の物語」という長い題名の本をめくりはじめた。「信州松代藩   恩田緑蔭アンソロジー」と副題されたその本は地元の方が書かれたもののようで、出版社名からして私家版のようだ。挿絵もあったので、求めて帰った。
この本が結構面白かった。著者は美術に相当に造詣のある方のようで、何よりも文章がうまい。私家版の場合、自分の思いを伝えることに懸命で、読ませることを考えないから途中で読むのをやめてしまうことが多いのだが、この本は実に興味深い。
緑蔭という人は一生結婚しなかったようで、ひじょうに几帳面で物静かな人であったようだ。そのことは作品からも見て取れるのだが、反面北斎漫画ばりの実に滑稽なデッサンも残している。身近な人たちのデフォルメされた似顔を書いているのだが、これが実に面白いのだ。物静かと思われている内面では、鋭い視線で人やものを観察していたのだろう。
「松代十二箇月絵巻」はどうも松代のことを書いたものではなく、絵巻の約束事にしたがって四季折々の風物を想像か模写で書いたもののようだ。題名も後の人が付けたらしい。これは少し残念だったが、絵に近い生活はあったことだろう。
緑蔭の作品をもう少しまとめて見たいと思った。過去に展覧会は行われたようだが、その時は緑蔭のことは知らなかった。松代の町に250年続いた武家の文化の層は厚い。そこから滲み出るものが松代の町のそこかしこから湧き出ているのだろう。


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Posted by 南宜堂 at 08:14│Comments(0)松代

 
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