2012年08月04日
お安梅の伝説
皆神山の天狗の話が出ましたので、尼巌山のお姫様の話も書き留めておきます。
建久八年春、源頼朝は善光寺に参詣したが、この時地蔵峠を越えて松代の地にも来られた。その頃、この地を治めていたのは尼飾城に住む東条左衛門尉義年の後家の尼将軍のであった。その一人娘にお安御前というものがおり、絶世の美人であると城下でも評判であった。頼朝を歓待すべくその宿舎に至り給仕などを勤めたが、頼朝もその美しさに心動かされ、お安を鎌倉に伴うことになった。
お安は頼朝の寵愛を一身に受けたが、正室の政子は嫉妬深い方で、側室が懐妊するとこれを怨んで殺させてしまった。このことを聞いたお安はすっかり恐ろしくなってしまった。毎日毎日を庭に咲いた紅梅をながめては「実をな結びそ」と唱えていた。その願いが通じたのか、不思議なことにこの紅梅は花をつけても決して実をつけることはなかった。またお安も懐妊することなく二年が過ぎた。
正治元年頼朝は五十三歳にして没した。お安は松代に帰ることを許され、かの紅梅を根から掘って故郷に持ち帰った。お安はこの梅を自らの住まいとした別荘の庭に植えた。その梅は「お安梅」と呼ばれ松代に帰ってからも実をつけることがなかったので、人々は不思議がったという。今ではその梅も枯れてしまい、「御安町」の名だけが残されている。
建久八年春、源頼朝は善光寺に参詣したが、この時地蔵峠を越えて松代の地にも来られた。その頃、この地を治めていたのは尼飾城に住む東条左衛門尉義年の後家の尼将軍のであった。その一人娘にお安御前というものがおり、絶世の美人であると城下でも評判であった。頼朝を歓待すべくその宿舎に至り給仕などを勤めたが、頼朝もその美しさに心動かされ、お安を鎌倉に伴うことになった。
お安は頼朝の寵愛を一身に受けたが、正室の政子は嫉妬深い方で、側室が懐妊するとこれを怨んで殺させてしまった。このことを聞いたお安はすっかり恐ろしくなってしまった。毎日毎日を庭に咲いた紅梅をながめては「実をな結びそ」と唱えていた。その願いが通じたのか、不思議なことにこの紅梅は花をつけても決して実をつけることはなかった。またお安も懐妊することなく二年が過ぎた。
正治元年頼朝は五十三歳にして没した。お安は松代に帰ることを許され、かの紅梅を根から掘って故郷に持ち帰った。お安はこの梅を自らの住まいとした別荘の庭に植えた。その梅は「お安梅」と呼ばれ松代に帰ってからも実をつけることがなかったので、人々は不思議がったという。今ではその梅も枯れてしまい、「御安町」の名だけが残されている。
Posted by 南宜堂 at 22:12│Comments(0)
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