2011年07月29日
本作りと雑誌作り
ずいぶんと前の話になるが、ある地方出版社が雑誌を作るということでお手伝いをしたことがあった。いわゆるブライダル雑誌という類のものだったが、その会社は雑誌を出すのは初めて、スタッフもほとんどが雑誌など作ったことのない人たちだった。要するに広告収入が魅力だったのだと思う。
慣れない仕事で苦労させられたが、結局そのブライダル雑誌は見事に3号で廃刊になった。直接の原因は広告が取れなかったということなのだが、それは雑誌があまりにもダサかったからだということである。
特集に結婚式の歴史などという記事を載せたり、著名人の結婚についての教訓的なエッセイを載せたりしたのだから、3号雑誌になるのは当然の運命だったのだろう。その時、本作りと雑誌作りは全く別物なのだということを痛感した。
例えば、雑誌では文字というものを視覚的に扱うのである。写真と文字とイラストとの総合的なレイアウトの中で、文字はそのパーツとして扱われる。書体と級数と文字数が決められてから内容が書かれるのである。書かれた原稿を本に組んでいく作業とはだいぶ隔たりがある。さらに、雑誌は数ページで一つのまとまりを作らなければならない。場合によっては1ページ、数行ということもある。1冊の本で1つの内容をなどという悠長なことはやってはいられないのである。
こんなことを考えたのは、最近私の店のある門前町界隈で起こっていることを雑誌的な感覚をもった人たちの動きなのだと感じたからだ。雑誌づくりのことがよくわからないわたしは、さまざまなジャンルの新しい店ができはじめている最近のこの界隈のことがどうもよく理解できず、常に「なぜだ?」と疑問を発し続けていた。もしかしたら年のせいかとも思ってみたのだが、私の頭でも理解できる若い人のはじめた店もあるのだから、そういうわけでもなかろうということで思い当たったのがそのことであった。
何日か前の毎日新聞長野版で、長野に新しくできた古本屋(本屋)の紹介記事が出た。この記事は、他の新聞やテレビと違って古い民家を再生して使う(リユース)という観点から取り上げたもので、なかなか興味深かった。だが、実際にそこで店を開いている若者たちには「古いものを直して利用する」という意図はそれほどなかったのではないかと思う。彼らには昭和初期に作られた民家や工場が新鮮だったのだ。いわゆるオシャレというものだろう。その家や工場がもつ歴史性ということは抜きにして、建物自体が彼らの感性に一致したということではないかと思う。これがいわゆる雑誌的な感覚なのである。
書籍作りをしてきたものには、それがいつ頃に作られたものであるとか、当時はどんな住宅事情であったのだろうとか、そんなところにどうしても目がいってしまうのだ。こういうことを詮索した雑誌は売れないで、3号出して潰れるというカストリ雑誌と同じ運命をたどってしまうのだろう。ただ、私のような年になるともうおいそれとは宗旨替えができないわけで、本作りと同じ感覚で古本屋商売をやっていくしかないだろうと思っている。先はそれほど長くはないのだからそれでもいいだろうということなのである。
慣れない仕事で苦労させられたが、結局そのブライダル雑誌は見事に3号で廃刊になった。直接の原因は広告が取れなかったということなのだが、それは雑誌があまりにもダサかったからだということである。
特集に結婚式の歴史などという記事を載せたり、著名人の結婚についての教訓的なエッセイを載せたりしたのだから、3号雑誌になるのは当然の運命だったのだろう。その時、本作りと雑誌作りは全く別物なのだということを痛感した。
例えば、雑誌では文字というものを視覚的に扱うのである。写真と文字とイラストとの総合的なレイアウトの中で、文字はそのパーツとして扱われる。書体と級数と文字数が決められてから内容が書かれるのである。書かれた原稿を本に組んでいく作業とはだいぶ隔たりがある。さらに、雑誌は数ページで一つのまとまりを作らなければならない。場合によっては1ページ、数行ということもある。1冊の本で1つの内容をなどという悠長なことはやってはいられないのである。
こんなことを考えたのは、最近私の店のある門前町界隈で起こっていることを雑誌的な感覚をもった人たちの動きなのだと感じたからだ。雑誌づくりのことがよくわからないわたしは、さまざまなジャンルの新しい店ができはじめている最近のこの界隈のことがどうもよく理解できず、常に「なぜだ?」と疑問を発し続けていた。もしかしたら年のせいかとも思ってみたのだが、私の頭でも理解できる若い人のはじめた店もあるのだから、そういうわけでもなかろうということで思い当たったのがそのことであった。
何日か前の毎日新聞長野版で、長野に新しくできた古本屋(本屋)の紹介記事が出た。この記事は、他の新聞やテレビと違って古い民家を再生して使う(リユース)という観点から取り上げたもので、なかなか興味深かった。だが、実際にそこで店を開いている若者たちには「古いものを直して利用する」という意図はそれほどなかったのではないかと思う。彼らには昭和初期に作られた民家や工場が新鮮だったのだ。いわゆるオシャレというものだろう。その家や工場がもつ歴史性ということは抜きにして、建物自体が彼らの感性に一致したということではないかと思う。これがいわゆる雑誌的な感覚なのである。
書籍作りをしてきたものには、それがいつ頃に作られたものであるとか、当時はどんな住宅事情であったのだろうとか、そんなところにどうしても目がいってしまうのだ。こういうことを詮索した雑誌は売れないで、3号出して潰れるというカストリ雑誌と同じ運命をたどってしまうのだろう。ただ、私のような年になるともうおいそれとは宗旨替えができないわけで、本作りと同じ感覚で古本屋商売をやっていくしかないだろうと思っている。先はそれほど長くはないのだからそれでもいいだろうということなのである。
Posted by 南宜堂 at 20:55│Comments(0)
│古本屋の日々