2011年08月11日
長野の古本屋事情
四谷書房さんのブログに「長野の古本屋事情」という記事があった。四谷書房さんのことは、長野県の出身で東京で古書店をやられている方という紹介をつん堂さんから受けていた。
その記事の中に次のような一節があった。
「長野は教育県といわれ、出版業界への出身者が多い、文筆家等も多い県です。ですから、本への関わりは他県と比べても深いと思います。 その長野でなぜ古本屋が増えているのか。その疑問への解答はまだですが、長野の古本屋事情が変わりつつあることは明らかです。」
同業の方であれば、この商売で生活していくことの大変さはよくわかっておられることと思う。そのことを踏まえた上での「なぜ古本屋が増えているのか」という問いかけは重い。
特に地方の古本屋ということになると、もともと古本愛好家の数が少ない上に、古本ブームなどというものがおこったにしろ、その恩恵は限定的なのである。おそらく、ブームというものは都会に住む一部の人たちの間にだけおこっている現象なのではないか。今地方で、ネットに頼ることなく、純粋に古本屋だけで商売をしていくことは不可能に近いのだ。
そんなことで、時々来店いただいているつん堂さんにもそんなぼやきをお聞かせしてしまうことになって恐縮している。おそらく四谷書房さんはこういう事情はよくわかっておられるから長野に古本屋が増えていることが不思議なのだと思う。
いま若い人たちの間で、就職という道に頼らずに自分の将来を切り開いていこうとしている人たちがいて、この界隈にはそういう人たちの交遊の場が出来つつあるということはなんとなく理解できる。古本屋だけではなく、カフェであるとかゲストハウスであるとかそういうものも増えつつあるのだ。
この辺りは善光寺から指呼の距離にあって、戦前までは長野の中心として栄えていた。それが戦後になって中心が長野駅の方に移っていくに従って寂れていった。最近では住む人も高齢化して、空家も目立つようになった。
そんな家を比較的安い家賃で借りることができたというのは彼らには魅力であったと思う。さらには古本屋というのは、それほどの資金がなくても、ある程度の在庫があれば開業できる。
長野に古本屋が増えているというのは需要があってという客観的な情勢からではない。あくまでも「古本屋をやりたい」という主観的な事情が先行しているのだ。
たまたま3軒の古本屋や書店が同じ時期に開店したということ、さらには経営者が30代の前半であるということから、地元のマスコミはこぞって好意的に取り上げていた。しかし、マスコミというのは店主の意欲や抱負を伝えても前途の厳しさは伝えてくれない。紹介した店がどうなろうと、その時の話題になればそれでいいのだろう。私もそういう経験は何度もしている。
いずれにせよ、長野の古本屋事情は供給が先行していて需要がそれに追いついてこないというのが今の姿だと思う。「顧客を育てなければ」と言ったら共同経営者に「そんな大それたことを」と笑われてしまったが、せめて古本屋通いの楽しさくらいはことあるごとに宣伝していきたい。
その記事の中に次のような一節があった。
「長野は教育県といわれ、出版業界への出身者が多い、文筆家等も多い県です。ですから、本への関わりは他県と比べても深いと思います。 その長野でなぜ古本屋が増えているのか。その疑問への解答はまだですが、長野の古本屋事情が変わりつつあることは明らかです。」
同業の方であれば、この商売で生活していくことの大変さはよくわかっておられることと思う。そのことを踏まえた上での「なぜ古本屋が増えているのか」という問いかけは重い。
特に地方の古本屋ということになると、もともと古本愛好家の数が少ない上に、古本ブームなどというものがおこったにしろ、その恩恵は限定的なのである。おそらく、ブームというものは都会に住む一部の人たちの間にだけおこっている現象なのではないか。今地方で、ネットに頼ることなく、純粋に古本屋だけで商売をしていくことは不可能に近いのだ。
そんなことで、時々来店いただいているつん堂さんにもそんなぼやきをお聞かせしてしまうことになって恐縮している。おそらく四谷書房さんはこういう事情はよくわかっておられるから長野に古本屋が増えていることが不思議なのだと思う。
いま若い人たちの間で、就職という道に頼らずに自分の将来を切り開いていこうとしている人たちがいて、この界隈にはそういう人たちの交遊の場が出来つつあるということはなんとなく理解できる。古本屋だけではなく、カフェであるとかゲストハウスであるとかそういうものも増えつつあるのだ。
この辺りは善光寺から指呼の距離にあって、戦前までは長野の中心として栄えていた。それが戦後になって中心が長野駅の方に移っていくに従って寂れていった。最近では住む人も高齢化して、空家も目立つようになった。
そんな家を比較的安い家賃で借りることができたというのは彼らには魅力であったと思う。さらには古本屋というのは、それほどの資金がなくても、ある程度の在庫があれば開業できる。
長野に古本屋が増えているというのは需要があってという客観的な情勢からではない。あくまでも「古本屋をやりたい」という主観的な事情が先行しているのだ。
たまたま3軒の古本屋や書店が同じ時期に開店したということ、さらには経営者が30代の前半であるということから、地元のマスコミはこぞって好意的に取り上げていた。しかし、マスコミというのは店主の意欲や抱負を伝えても前途の厳しさは伝えてくれない。紹介した店がどうなろうと、その時の話題になればそれでいいのだろう。私もそういう経験は何度もしている。
いずれにせよ、長野の古本屋事情は供給が先行していて需要がそれに追いついてこないというのが今の姿だと思う。「顧客を育てなければ」と言ったら共同経営者に「そんな大それたことを」と笑われてしまったが、せめて古本屋通いの楽しさくらいはことあるごとに宣伝していきたい。
Posted by 南宜堂 at 00:31│Comments(3)
│古本屋の日々
この記事へのコメント
Posted by つん堂 at 2011年08月11日 09:29
つん堂さん
四谷書房さんの東京の古本市情報はたいへん参考になります。近ければすべて行きたいですね。
25日は不在の予定です。店の入口付近に新着本のコーナーがあります。夏枯れで入荷数は多くありません。年とともに暑さには弱くなります。矢崎さんの本では「口きかん」という菊池寬のことを書いた本があったと思います。
四谷書房さんの東京の古本市情報はたいへん参考になります。近ければすべて行きたいですね。
25日は不在の予定です。店の入口付近に新着本のコーナーがあります。夏枯れで入荷数は多くありません。年とともに暑さには弱くなります。矢崎さんの本では「口きかん」という菊池寬のことを書いた本があったと思います。
Posted by 南宜堂 at 2011年08月11日 10:27
南陀楼さんは27日の15時くらいに話が聞けそうです。イベントの合間の時間なので、わずかしか話はできなさそうですが、おおよそのことだけでも聞いてみましょう。
Posted by つん堂 at 2011年08月16日 08:17
月曜日のトークの時、南陀楼さんに長野での古本市の相談ができませんでした。メールで確認しておきますね。
次回の長野訪問は、25日、26日になってしまいました。27日の直前ですが、どちらかの日にお邪魔するつもりです。