2011年12月21日
電子書籍の時代は来るのか
電子書籍がどんなに普及しても、紙の本は無くならない。本好きの人の多くはそう思っているようだ。私もそうは思っているのだが、それは多分に無くならないでほしいという願望のような面もあるのではないか。
ある日、何かの拍子で情勢がガラリと変わる可能性もある。昨年のiPadの発売はそれを予感させた。週刊誌より少し小さい電子の板に、本のコンテンツをダウンロードして、紙の本を読むようにそれを読むことができる。
私は、実際にお金を払って電子書籍を購入したことはないが、i文庫HDというアプリを購入して「青空文庫」という無料のコンテンツをダウンロードしたことがある。「青空文庫」については今さら説明の必要もないが、著作権の切れた小説やエッセイを無料でダウンロードして読むことのできるサイトである。
その感想を一言で言えば、「やっぱり紙の本にはかなわない」であった。いちばん不便に感じたのは、本という質感がないため、どの位のボリュームの本を読んでいるのか、そしてどの辺まで読み進んだのかがわからないことであった。さらには、パラパラッという見方ができない。前に読んだシーンをもう一度読みかえしたいと思っても正確なノンブルがわからなければ、そこにたどりつくことができないのだ。
電子書籍は、紙の本をお手本に、紙の本と同じような動きで電子の本を読ませようとしたものであると思う。だが、そのことがかえって紙の本の優位性を再認識させているようだ。精巧なロボットは作ることはできるが、人間のような微妙な動きは再現できないのと同じようなものである。
それでは紙の本は安泰なのかというと、決してそうでもない。これまで紙の本を読むということに慣れてきた私たちの動作を、電子の本を読むための動作に慣らさせればいいのだ。例えば、出版社が紙の本を作らなくなれば、私たちは否応なく電子の本を読まざるをえない。
そんな読者のニーズに反することを出版社がするわけがないとは思うのだが、何社かの大手の出版社がその流れを作れば、あとの出版社は雪崩を打ったようにそちらに進んで行くのではないかと思う。
とにかく、電子書籍はコストが安い。紙代も、印刷代も、製本代もかからない。書店に届けるための輸送コストもかからないのだ。今は様子見の段階だとは思うが、可能性はないとは言えない。以前に、紙の本を出し続けるためには出版社の覚悟のようなものが必要ではないかということを書いたのは、そんな近未来の状況を想定してのことであった。
ある日、何かの拍子で情勢がガラリと変わる可能性もある。昨年のiPadの発売はそれを予感させた。週刊誌より少し小さい電子の板に、本のコンテンツをダウンロードして、紙の本を読むようにそれを読むことができる。
私は、実際にお金を払って電子書籍を購入したことはないが、i文庫HDというアプリを購入して「青空文庫」という無料のコンテンツをダウンロードしたことがある。「青空文庫」については今さら説明の必要もないが、著作権の切れた小説やエッセイを無料でダウンロードして読むことのできるサイトである。
その感想を一言で言えば、「やっぱり紙の本にはかなわない」であった。いちばん不便に感じたのは、本という質感がないため、どの位のボリュームの本を読んでいるのか、そしてどの辺まで読み進んだのかがわからないことであった。さらには、パラパラッという見方ができない。前に読んだシーンをもう一度読みかえしたいと思っても正確なノンブルがわからなければ、そこにたどりつくことができないのだ。
電子書籍は、紙の本をお手本に、紙の本と同じような動きで電子の本を読ませようとしたものであると思う。だが、そのことがかえって紙の本の優位性を再認識させているようだ。精巧なロボットは作ることはできるが、人間のような微妙な動きは再現できないのと同じようなものである。
それでは紙の本は安泰なのかというと、決してそうでもない。これまで紙の本を読むということに慣れてきた私たちの動作を、電子の本を読むための動作に慣らさせればいいのだ。例えば、出版社が紙の本を作らなくなれば、私たちは否応なく電子の本を読まざるをえない。
そんな読者のニーズに反することを出版社がするわけがないとは思うのだが、何社かの大手の出版社がその流れを作れば、あとの出版社は雪崩を打ったようにそちらに進んで行くのではないかと思う。
とにかく、電子書籍はコストが安い。紙代も、印刷代も、製本代もかからない。書店に届けるための輸送コストもかからないのだ。今は様子見の段階だとは思うが、可能性はないとは言えない。以前に、紙の本を出し続けるためには出版社の覚悟のようなものが必要ではないかということを書いたのは、そんな近未来の状況を想定してのことであった。
Posted by 南宜堂 at 02:27│Comments(2)
│古本屋の日々
この記事へのコメント
Posted by ムギチョコ at 2011年12月21日 15:49
当店では古書の販売の他にレコード・CD・DVD・ビデオの販売を行っています。これらはネット配信の時代となりいずれは滅びるといわれいたてたものですが、それぞれに未だ健在です。
先の事はわかりませんが、アナログを支持する人がいるかぎりは中古の世界は存続すると思っています。
先の事はわかりませんが、アナログを支持する人がいるかぎりは中古の世界は存続すると思っています。
Posted by 南宜堂 at 2011年12月21日 23:40
扱っているレコードは、若者向け/DJ向けのものが中心です。
5年ほど前まではDJをCDで行う事やデータで行う事は
『なんかカッコ悪い』
『ホンモノではない』
という雰囲気が根強くあったのですが、ここ数年で一気に形勢逆転となってしまいました。
今ではCD(データをCDに焼いてる人が多いです)/データの方が人気です。
『取り扱いが簡単』
『音もキレイ』
『音を色々と処理できる』
『安い』
まあ、確かに利点は多いんですよ。
でも僕自身未だレコードです。
色んな理由はありますが、一番大きいのは
『持っていると言う充実感が違う』
と言う事です。
データで持ってても、それは『ラジオの音をカセットに録音した』というものみたいに思えてしまうのです。
しかしながら今の若い子達はデータという目に見えないモノに対して、そんな気持ちは全くないようです。
本もレコードも(CDもですが)、共に難しい時代ですね。
拙い文章失礼致しました。