2012年02月09日

瓢箪から出るのは

このところ寒さが緩んできたにもかかわらず、店の売り上げは一向に伸びない。ネットの販売は堅調であるが、肝心の店が売れないのでは古本屋の看板を上げている意味がない。共同経営者とクリーニングの取次店でもやろうかと話していたら、Oさんが見えた。かつて高遠で長藤文庫をやっていたOさんである。
つん堂さんの棚から何冊か買っていただいた。その中に高田保の本があった。Oさんが高田保の読者であることは、彼のブログの名が「ぶらりひょうたんから駒」ということからわかるような気がする。高田保といえば一世を風靡したエッセイストだったようだが、その時代を私は知らない。私より年下のOさんももちろん知らないだろうと思う。「青空文庫」に何点か入っていて、読んでは見たが、理屈が時に小骨のようにうるさくて、それほど洒脱な随筆とは思わなかった。今度、Oさんにその魅力を聞いてみよう。

そのOさんが、今度お金を貯めようと思っているんです、とのたまわく。蓄財と古本屋は全く相入れないと思うのだが、冗談というわけではないらしい。詳しくその方法をお聞きしたが、ここでは敢て記さない。真似をされても困るし、危険も伴うことだから。私やOさんが富豪になったら明かすことができるかもしれない。せっかくのお話であったが、ちょっと私には無理のようだ。たぶん、Oさんも無理だと思う。簡単には古本屋御殿は作れないだろう。

それにしても、つん堂さんもブログで書かれていたが、古本屋を維持するために他の仕事をするというのは、そうまでしても続けたい魅力的な商売なのかもしれないが、裏を返せば古本屋では生活できないということではないか。特に地方の古本屋はそうだ。ということは、この商売、市場が成り立っていないということだろう。

この日Oさんはまた、長野の古書組合の市が活発化しているのだという不思議な話もしてくれた。数年前までは、老舗の古本屋が集まるだけの市であったものが、このところ新規の参入が多くて、彼らがどんどん買うものだから、老舗の古本屋も倉庫に眠っていた在庫を吐き出して盛況であるのだという。

古本屋の店頭で本が売れないのに、古本の市は盛況という不思議なねじれはアマゾンなどのネット販売によるのだという。今では店舗を持たずにネット販売だけをしている古本屋が古書組合の市を活性化しているということのようだ。

こうなると、店舗を持つ古本屋もうかうかとはしていられない。ためしに町の古本屋に入ってみるがいい。帳場にいる店主は、たいがい憂鬱そうな顔をしてパソコンの画面を凝視している。客が入ってきてもうわの空、「いらっしゃい」の声にも力がない。

「これでいいのだ」と取るか、「これでは淋しい」と取るかはそれぞれだろうが、私は手が動かなくなって、キーボードが打てなくなった時のことを考えてしまう。近未来の古本屋はその時が廃業を決意する時なのだろうな。


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Posted by 南宜堂 at 10:20│Comments(0)古本屋の日々

 
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