2012年05月29日

結論を急ぎすぎる社会

ツイッターの威力というのを思い知らされた人も多いのではないかと思う。例の生活保護の不正受給を糾弾した政治家のツイッターのことである。
ブログで発言する人が減って、ツイッターやフェイスブックといった短文で発言するサイトを利用する人が増えているようにも思う。
不特定多数の人に向かって発言するブログに比べて、ツイッターの場合は確実にフォロアーに流れるわけだから、見てもらえる確率は高い。それに、何と言っても短文でインパクトのある言葉をつぶやくことで、読む人への印象がずっと強くなるわけだ。
わたしもツイッターを利用しているが、はじめた動機は、古本好きな人に店の宣伝をしたいという、実に不純なものであった。

少し前のこと、本屋が消えていくという話題がツイッターに流れたことがあった。これは結構関心が高かったようで、多くの人たちが取り上げて発言していた。もっとも、わたしがフォローしている人たちのほとんどが古本や出版の関係者だから、これが話題になるのは当然といえば当然のことではあるのだが。
わたしも自分の体験を交えてブログに書いた。本屋が消えていくという話題を取り上げながら、自分の思いは全く別の場所に導かれてしまったようである。すなわち、本屋が無くなっていくということは、わたしたちがなんとなく立ち寄って無駄な時間を過ごすような場所が失われていくということなのではないかと、そんなことを思ったのである。本屋に限らず、呑屋でも喫茶店でも、そんな場所がむかしは結構あったような気がするのである。
今の社会はそういった無駄というかたるみというか、そんなものが無くなってきているのではないか、もしかしたらそんなものを必要としない世界になっているのではないか。無駄の無い社会というのは、結論を急ぎすぎる社会のようで怖い。その象徴がツイッターの世界のような気がするのである。短文で発言するツイッターの世界は、結論をズバリと言ってしまうことで、途中経過など省略する世界だ。それに比べてダラダラと書くブログの世界は、書き手の気持ちがたどっていけるわけで、インパクトはないが安心はできるのである。


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Posted by 南宜堂 at 21:50│Comments(0)雑記

 
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