2012年08月23日

肩書について考えた。

実はまだ校正に時間がかかっております。昨日一日出版社に缶詰になって責了としてまいりました。
「シリーズ藩物語   松代藩」のことです。
ちなみに無駄な知識をひけらかしますと、
校了というのは、もう直しが入らない状態で、そのまま印刷に回せます。
責了とは責任校了の略で、まだ直しがあるけれど、後は出版社に任せるということです。
これでも、編集者歴うん十年ですから。
その時、現代書館の菊地社長から「肩書をどうしましょう」という話になりました。書店に配るチラシに必要なのだそうです。
なるべく売れそうな肩書がいいわけで、かと言って「作家」とか「何とか大学教授」とか嘘をでっち上げるわけにもいきません。正直に自営業とか半年金生活者と書くわけにもいかず、無難なところで「地方史研究家」としていただきました。一応鉄道とか善光寺とかそんな本も書いているので、嘘ではないと思います。
思えば、肩書の付いた名刺を持たなくなって久しくなります。最後は「◯◯書籍株式会社   編集部」でした。この頃はあくまでも会社の編集部員として仕事をしていたわけで、個人として活動していたのではありませんでした。会社を辞めた時にそういった肩書とは縁がきれるわけです。現在の私は、古本屋をやっている私ですが、古本屋に属している私ではありません。
肩書のことで思い出したのは新聞のお悔やみ欄です。最近は長寿の方が増え、80・90・場合によっては100以上生きる方もいます。そんな方でもなぜか、元教員とか元市役所勤務とか何々会社勤務とか昔の肩書を記している方がほとんどです。60歳で定年を迎えたとして、この人たちは皆元何々の日々を何十年も送っていたのでしょうか。まあ、名前だけではピンとこないので親切心で元の職場を記しているのかもしれませんが、死ぬ時まで昔の肩書を背負ってあの世に旅立つというのも寂しいものです。せめて菊作りが好きだった何とかさんとか、毎日公園の掃除をしていた何とかさんとして死にたいものだと思います。


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Posted by 南宜堂 at 07:58│Comments(0)雑記

 
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