2012年10月12日

百姓一揆と住民投票

浜岡原発の再稼働の是非を問う県民投票条例案が否決された。長野でも以前、市民会館の建替えの是非を問う住民投票条例案というのが市議会で否決された。素人は黙っていろということなのか、自分たちの特権を奪われるのが嫌なのか、いずれにせよ不愉快なことだ。
民主主義のかけらもなかったと言われる江戸時代にも直接請求というのはあった。百姓一揆である。松代藩内でも「二斗八騒動」というのがあって、これは首謀者が磔にはなったものの、農民の要求はほぼ受け入れられた。同じ真田が支配する沼田藩でも年貢軽減を求める百姓一揆があって、こちらも茂左衛門という百姓が磔になったが、悪政がとがめられて沼田藩は取りつぶしになっている。
こういう例をあげて江戸時代の方が暮らしやすかったとか、民主的な世の中であったとか言うつもりはない。百姓たちが一揆を起こすのは、このままでは生活が成り立たないというぎりぎりのところで立ち上がったわけで、首謀者には過酷な刑罰がまっていた。領主の側にとっても、騒動を大きくして幕府が知ることになれば場合によっては取りつぶしということにもなった。穏便な解決策として百姓の要求をある程度は受け入れたのである。
江戸時代の民百姓と武士階級の関係は支配、被支配の関係である。武力で押さえつけることが困難になった幕藩体制下では、そういう解決策を取らざるを得なかったということである。
翻って今は住民こそが主人公の時代だと言われている。4年に一度選挙の洗礼を受けるのだとは言っても、個別の案件に対しては住民の意思は反映されにくい。県民の大多数が原発ゼロを望んでいても、それは選挙結果には表われにくい。重要な案件については住民の意思を問うことは必要だろう。そうでなければ江戸時代以下の世の中だ。


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Posted by 南宜堂 at 10:27│Comments(0)雑記

 
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