2010年04月07日

象山紀行 2

 信州では県歌に歌われ、生地には神社まである佐久間象山であるが、現代におけるその評価は必ずしも高くはない。
 理由はいろいろあるだろうが、勝海舟の次のような象山評が影響しているということも否定はできない。
「佐久間の方はまるで反対で、顔つきからしてすでに一種奇妙なのに、平生どんすの羽織に古代模様のはかまをはいて、いかにもおれは天下の師だというように厳然とかまえこんで、元来勝ち気の強い男だから漢学者がくると洋学をもっておどしつけ、洋学者がくると漢学をもっておどしつけ、ちょっと書生が尋ねてきても、じきにしかりとばすというふうで、どうも始末にいけなかったよ。」
 明治20年代に語られた、海舟の維新の英傑談は、大いにもてはやされたようだ。現代でも、テレビドラマなどに登場する佐久間象山は、この域を出ていないようだ。
 さらに、象山人気を悪くしているのは、吉田松陰との関係である。松陰にとっては象山は師である。松陰が下田踏海事件で自首した時、象山も示唆した罪で取り調べを受けた。
 松陰ははじめから確信犯であったのに対し、象山はその罪を逃れようとしたというのである。これに対し、松本健一氏は「(象山が)松陰たちに西洋に渡ることを勧めたのは、国禁を犯すためではなく、むしろ国を救うためである、と包み隠さず述べているのです。」と象山を擁護されている。しかし、長年染み付いた俗説というのは恐ろしいもので、象山は卑怯者というレッテルがいまだにはがれずにいるのである。
象山紀行 2


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Posted by 南宜堂 at 23:40│Comments(0)松代
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