2011年01月26日

昭和古本屋の日々 まちが変わる

 近々長野にまた古書店ができるという話を聞いた。我々と違ってその方はまだ30代の方だという。それほど大きくもない長野に古書店の開店ラッシュである。老舗の同業の方はどのように考えておられるのかはわからないが、光風舎としては歓迎すべきことかと思う。店が増えることはお客にとってはうれしいことで、店をまわる楽しみが増えるわけである。そのことは店側にもいい影響を与えるのではないかと思うのである。
 先に紹介した「長野・門前暮らしのすすめ」の人たちも若い人たちである。来月このあたりで同時多発的に演劇の公演が行われるらしいがそれも担い手は30代前後の人たちのようだ。そういえば、同業の団地堂さんも30代か。我々の子供のような世代がこんな町おこしの担い手になっている。
 頼もしいことだと思いたいところが、どうも気持ちは複雑である。これらの仕事どう考えても大きな利益を生みそうにないのだ。場合によっては無償の行為である。そういうことに若い世代の人たちが積極的に関わるというのはどういうことだろうか。
 一般に、結婚し子供を産み育てるということは膨大なエネルギーと経済的な負担が必要だ。そのためには安定した仕事につき、十分な収入を得る必要がある。そして仕事そのものが生き甲斐になったり、仕事中心の生活こそが当たり前の日々のようになったりするのだ。
 どうもこの人たちは、そういうことから離れて、あるだけの収入の範囲内で暮らしていこうとしている人たちのような気がする。そして、その分を気持ちのゆとりとしてゆるやかに暮らす。
 まだこういう人たちは一部ではあろうが、私には救いのような気がする。GDPが中国に追い抜かれたというニュースを大変なことのように騒いでいるが、私はGDPとは何なのかよくはわからないが、そんなことは仕方ないことであり、あまりよそのことを気にせず、ゆるゆると暮らしていく人たちがいてもいいのではないかと思うのだ。
 頑張る人たちを否定するのではないが、頑張らない人たちも許容する社会てあってほしい。


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Posted by 南宜堂 at 00:44│Comments(2)雑記

この記事へのコメント

こんにちは。
本来社会とか国家と言うものは弱い者が集まって、お互いに
助け合って生きていくと言うのが基本ではないかと思います。
それがいつの間にか自己責任とかグローバルスタンダードとか
まるで弱者が悪者のようになってしまいました。
強いものが勝つのだったら社会は要らない。
お金が無ければ医者にもかかれない米国、金の亡者集団の中国、
こんな国とばかり付き合って日本の将来はどうなるんでしょう。
GDPでなく精神的なものがいかに充実しているかを社会の発展の
バロメータにするようなシステムを作る必要がある気がします。
Posted by igoten at 2011年01月26日 08:55
igotenさま
コメントありがとうございます。
いつ頃からこんな世の中になったのでしょう。今のように人権意識が高くない時代はさまざまな差別があり、貧富の差も激しかったと思います。しかし、なんとなく弱者が生きていけるようなしくみはできていたような気がします。
私が紹介した若い人たちは、かつてあった相互扶助のようなつながりをつくろうとしているようです。そんな人たちが多数派になる日はなかなか来ないでしょうが、がんばってほしいと思います。
Posted by 南宜堂 at 2011年01月27日 01:03
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