2011年02月01日

大名行列の音

 趣味の範疇ではあるが、歴史というものに関わっていると、時々よくわからなくなってしまうことがある。歴史とは何なのだろう。大河ドラマが歴史なのか、司馬遼太郎の小説が歴史なのか、学者が資料をあさって組み立てるのが歴史なのか、はたまたコスプレをして殺陣をやったりするのが歴史なのか。
 このごろあることから安岡章太郎の「歴史への感情旅行」という随筆集を読んだ。その「文庫版へのまえがき」の中に次のような一節があって、おやっと思った。

 かつて中上健次からきいた話では、大名行列が「下にい、下にい」といって、先触れがふれてまわるが、部落の古老の話では、あれは「下に、下に」ではなく、むただ恐ろしい犬の吠え声か何ぞのように、
「わっ、わっ」
 と言っているように聞えたものだ、ということだ。

 私なんぞの知っている大名行列は、松代の真田十万石祭りかなんかで行われる行列、髭の奴さんが槍かなんかを放ったりしてかけ声をかけているという、そんな見世物のようなものである。当時の庶民は額を地面にこすりつけて通り過ぎていくのをまったというのだが、はたしてそんなパフォーマンスのようなことをしたのか。よくわからなくなってしまう。
 YouTubeなんかでもみることのできる、土方歳三なりきりコンテストなんかでも、大河ドラマのシーンかなんかを参考にやっているもので、実際にあんなにかっこよく死んだのかどうかはわからない。
 歴史を学ぶというのは、明治維新なら志をもった西郷隆盛や木戸孝允が坂本龍馬に説得されて同盟するというような風に解説されるのだが、実際にそういうことで歴史は動いてきたのか。それは表面的なことではないのだろうか。
 実際はもっと底の方に大きな流れができてきて、たとえば「わっ、わっ」と恐ろしげに近づく大名行列を、草むらの中に這いつくばって見ている百姓の胸の内に「こんなのはいやだ」というような感情がわいてきて、そういう底流が社会を動かしてきたのではないか。
 昨年の大河ドラマ「龍馬伝」では、岩崎弥太郎の貧しさと汚さが話題になった。三菱から抗議がいったとかいかなかったとか。同じ財閥でも三井が由緒正しい財閥であるのに対し、三菱は土佐の地下浪人であった岩崎弥太郎が一代で築いた財閥である。NHKのディレクターは若き日の弥太郎の思いをそんなほこりっぽさの中に表現したかったのだろう。これはナレーターが「弥太郎の家は地下浪人であり。その暮らしは貧しかった」と一言で説明するよりは効果的であった。最近のドラマにはそんな工夫も見られるのだが、こと「龍馬伝」に関しては、後半にいくにしたがって説明的になってしまい、面白くなくなったのは残念である。
 歴史とは何なのか。学者の歴史、小説家の歴史、歴女の歴史など、それぞれが少しずつ違っていて決め付けることのできないものがあるのだが、近づいてくる大名行列の音を草むらに這いつくばって聞いているような、そんな感覚に迫るような歴史に私は興味がある。


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Posted by 南宜堂 at 10:16│Comments(0)雑記
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