2011年07月31日

古川康佐賀県知事殿

 いま何かと話題の古川佐賀県知事だが、かつて長野県の地方課長を勤めていたのはご存じでしょうか。当時の自治省から出向していたのですが、その当時「Hamidas」というベストセラーを作っています。その本のことをかつてブログに書いたので引用してみます。

Hamidas 現代信州の基礎知識
村山健大+Bチーム 銀河書房1989年
 長野県の地方出版物でいちばん売れたという伝説の本もいまや100円で買えるようになりました。中心になってつくった古川さんはいまや佐賀県知事となりはにわとテレビに出ているのを見かけました。17年前の本であるにもかかわらずいまだにおもしろい。たとえば「いかそうめんに関する一考察」では、
 「海にかけるながのけん人の情熱はすさまじい。」とHamidasはいいます。「信濃の国」に「海こそなけれものさわに よろずたらわぬ事ぞなき」とあるのはいじけの裏返しというのです。長野県人は海を見ると感動するという、パブロフの犬のような条件反射が備わっているようなのです。そんなにも海にあこがれる信州人ですが、魚は苦手のようで鮮魚センターに行ってもどうしても干物を買ってしまうのが信州人だというのですね。
 信州人に限らず人間というのは自分たちがカリカチュアライズされるのに倒錯的な喜びを覚えるようです。こんな本出されて「ふざけんじゃねえ」と言わずに1300円出して買ってしまった信州人が何万人もいたのですから。
 しかし、最近では「信濃の国」もあまり歌われなくなりましたし、海だって高速ができて1時間も走らずに見ることが出来るようになりました。新鮮な魚だって長野でも食べられます。もう海なし県と馬鹿にはされないような状況になっています。そうすると「信州」と頭につけた本、長野県だけで流通している地方出版物もだんだんと売れなくなって地方出版社なんて絶滅種として保護されるようになるのかもしれません。そんなとき「昔はよう何万部も売れた本があったんだぜ」などと言うと「あのじいさんちょっと誇大妄想のけがあるから」といわれ、誰も相手にしてもらえなくなるかもしれません。

 古川さん自身もこの本についてこんな風に書いています。

この『Hamidas』をはじめとして、長野県でいろんなことができたことは僕にとっては本当に有難かった。よく人からは「はみだしている」といわれたが避けたいと思っていた。「なにいうだ、あれだけやって、へえ」と思うかもしれないが僕は公務員としてぎりぎりの範囲のことにはチャレンジしていたけれど、逆にしてはならない範囲というのにも敏感になった。いつもどまんなかにストライクを投げている人は外角ぎりぎりがどこまでストライクなのか、あんまり興味がないと思う。僕は公務員としてぎりぎりの球を投げようとした。ときどきボールになっておこられたりもしたけれど、そういう限界事例が積み重なって公務員としての社会的なストライクゾーンが広くなればいいなと思いながらやってきた。

そうでなけりゃいくらなんでも何年も公務員は続けられない。

今後も僕はこれで行こうと思う。今、環境は変わったけれど、あくまでもぎりぎりの線で生きてみたい。


県知事も公務員だと思うのですが、ぎりぎりの線ではみだしてしまったようです。彼の講演は聞いたことがあって、ひじょうに愉快な人という印象だったのですがね。権力をもって良心が麻痺してしまったのでしょうか。


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Posted by 南宜堂 at 20:36│Comments(0)雑記

 
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