2011年09月24日

長野の一箱古本市

古本屋だけでは食えない南宜堂は、夜中に働くしかない。1時から2時間だけの仮眠の後働き、カネマツで開かれる一箱古本市へ。つん堂さんとの約束の時間に15分遅刻してしまった。
全部で21の箱が集まった会場で、11時から古本市が始まった。南宜堂の箱はあちらこちらのアドバイスをみんな聞き入れたためぐじゃぐじゃ、いったい何を売りたいのかサッパリわからなくなってしまった。その中で、一番売れたのが、10年ほど前に私が復刻して売り出したものの、あまり売れなくてデッドストックになっていた大正14年の北信地区の主な町の市街地図。おまけにやはり昔出版したもののまったく売れず、出版社光風舎を潰す元凶となった長野市中央通りの昭和初期の写真集も売れて、10年前にこれだけ売れていたら光風舎ビルが建っていたのにと思うが後の祭。
祭といえば、一箱は祭だ、高遠で長藤 文庫をやっていたOさんや会津でお会いしたじんた堂さんも見えて懐かしくも楽しい時間が過ごせた。一箱古本市の模様は隣に店を出されていたつん堂さんや主催者の遊歴さんがブログでアップされると思う。
ゲストの南陀楼綾繁さんは一箱の合間を縫って、長野の古本屋を精力的にまわられたようだ。古本市の後のトークでそんなお話があった。特に印象に残った店として、北島書店、山崎書店、荻原書店の名前をあげられていた。荻原は新刊書店だが、あとの2店はいずれも長野では老舗の古本屋で、私がいうところの長野の古本屋第2世代の人たちだ。
南陀楼さんの目に止まったのは、それらの店頭にある黒めの本たち。場合によっては100年近くも前に出版されて、古本屋の本棚に埋もれていた本を見つけ出す楽しみは、歴史を積んだ古本屋をまわらなければ味わえないものなのだろう。今風の流行を追いかけた古本屋全盛の昨今の状況への南陀楼さんの警鐘と聞いた。
確かに長野の古本屋の中では、上記の店に加えて新井大正堂あたりがプロフェッショナルで、あとの古本屋はアマチュアなのかもしれない。棚の持つ時代の厚みと言ったらいいのだろうか。あの魅力は古本屋を何十年もやらなければ出せないものなのかもしれない。
上で紹介した昔の長野の写真集の原本は北島書店で購入したものだ。大正13年に中央通りの拡幅工事が完成したのを記念して作られた写真集で、コロタイプ印刷の贅沢なものだった。私はこの本の美しさと被写体となった長野の商家のたたずまいに惹かれて復刻を決意した。こいう出会いは老舗の古本屋の棚だからこそ味わえるものだ。
一箱古本市を提唱し、新しい古本の動きをリードしている南陀楼さんの口からこういう話を聞けるというのは意外であった。でも黒目の棚から面白い本を見つけ出すということが広がっていったなら、これはこれで古本の世界の幅が広がるというもので歓迎すべきことだろう。まあ、こういうことは一昔前の古本好きがみんなやっていたことなんだが、稲垣足穂がいまの若者に新鮮なように、若い古本好きには新鮮に映るのかもしれない。
長野のみなさん、老舗の古本屋を訪ねましょう。

長野の一箱古本市

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Posted by 南宜堂 at 01:23│Comments(0)長野の町

 
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