2011年10月17日

奥州平泉旅行

歴史仲間に誘われて奥州平泉に旅してきた。世界遺産になった後ということで、中尊寺は大変な賑わいだった。世界遺産というのは、だれがどうやって決めるものなのかよくわからないが、世界遺産になることで、これだけ人が押し寄せて来るのだから、ありがたいものだ。善光寺もそういう運動をしているようだが、これだけの集客効果があればぜひ世界遺産になってほしいものだ。
 
岩手県のホームページでは、平泉の文化について次のように説明されている。
 
平泉の文化遺産は、中尊寺、毛越寺、無量光院跡、観自在王院跡、金鶏山を中心とした周辺一帯が対象です。 こちらの5個所が世界遺産に登録されました。平安末期の百年間に、都の文化を受容しながら独自に発展させた仏教寺院、浄土庭園など、華麗な黄金文化の遺産群です。 古代から中世への過渡期の地方文化として、突出した事例であると高く評価されました。 文化遺産としては、東北で初の世界遺産登録となります。 
 
 
現代だからこそ新幹線も高速道路もあって全国から気軽に東北に行くことはできるが、芭蕉が奥の細道の旅をした頃は命がけであった。ましてや中世である。どうやって都の文物が入ってきたのだろうか。不思議である。
おそらく、下向する公家や僧侶、時には都と奥州を往き来する商人たちによってもたらされたものであろうが、それを可能にした奥州藤原氏の財力と情熱もまた並々ならぬものがあった。
中尊寺の金色堂にしても、毛越寺の庭園にしても、この地に極楽浄土を再現しようとした当主たちの夢の跡だという風に思えるが、そこにはまた都の権力者たちへの対抗意識のようなものもまたうかがえる。
 
平泉の権力者たちは、自分たちの栄華と極楽往生のために、この地の民から多くのものを搾り取ったことだろうが、それがめぐりめぐって現代になると、その文化遺産によってこの地の人々が潤うことになるとは、これもまた不思議な縁とでもいおうか。しかし、そこの食堂で食べたわんこそば、あれはやっつけ仕事のようなものでそば好きなら箸を置くだろうなと思った。 


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Posted by 南宜堂 at 07:53│Comments(0)雑記

 
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