2012年08月05日

夏祭りについて考える

長野市の中心市街地の片隅に店を開くものとして、市民祭りと称される「長野びんずる」は盛り上げていかなければならないのだろうが、生憎当日は長野にいなかった。いてもたぶん見にも行かなかったと思う。
オリンピックも興味がない。知り合いでも出ていれば別だがそんなこともないし。第一ウチのテレビはまともに映らない。などと書きはじめると、こいつはだいぶ変わった奴だと思われそうだが、しかし私のような輩は結構多いのではないか。マスコミが煽るから盛り上げなければいけないような風潮になるのであって、興味のある人たちが騒げばそれでいいのではないかと思うのだが。
私は途中から長野市民になったから、あまり昔のことはわからないが、私が長野に来たころは「長野びんずる」という祭りはなく、「夏祭り」というのが中心市街地で行われていた。お神輿や山車が練り歩くような祭りだった。それ以前は祇園祭りではないかと思う。
それが阿波踊りを真似たようなものになったのは、中心市街地の衰退がその原因ではないか。祭りを維持できる体力が無くなったのだろう。そこに青年会議所か何かが、たいして金のかからない踊り中心の祭りを提案して定着したものだと思う。
もう一つ、私は実物を一度も見たことはないのだが、「松本ぼんぼん」という祭りも同じ日に松本で行われたようだ。「ぼんぼん」といえば、元松本市民の私は全然違うものを思い出す。お盆の頃に提灯を持った女の子たちが物悲しい歌を歌いながら町内を巡り歩く行事である。男の子たちは反対に「青山様だいワッショイコラショ」の掛け声にお神輿を担ぎまわった。こういう行事はまだ続いているのだろうか。
「ぼんぼん」は、お盆の季節に行われることから、多分死者を迎え、慰めたものではないかというのは私の想像である。盆踊りが元々はそういう行事であったそうだから、あながち間違いということでもないだろう。
お盆のころというのは、死者を迎える時でもあった。それがギラギラ照りつける太陽とか弾ける青春とかいうキャッチフレーズと共に妙に騒々しい季節となってしまった。へそ曲がりかもしれないが、静かな夏を過ごしたいものもいるのである。


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Posted by 南宜堂 at 23:07│Comments(4)長野の町

この記事へのコメント

確かに今各地で行われている夏祭りは内輪で固まって飲んで騒いで楽しい一日を過ごす、だけの気がしますね。
町の活性化のために始めただけあって、風情も、情緒もまったく感じられませんね。これがこの先続くと思うと残念に思います。
Posted by ヘンリーたまきヘンリーたまき at 2012年08月06日 09:13
ヘンリーたまき様
祭りを楽しみたい人を邪魔するつもりはないのですが、参加しない自由もまたあってしかるべきだと思います。
Posted by 南宜堂 at 2012年08月06日 11:00
久しぶりに書き込みさせて頂きます。

夏祭りなんて大昔からそんなモノです。
バカ騒ぎしている輩もいますが、風情や情緒を感じられることも多々ありますよ。
もう少し他のやり方もあるとは思いますが、参加してみて初めて見えてくる良さも多いです。
市民祭と神社の例祭を混同されがちですが、全くの別物です。
Posted by 長野市在住 at 2012年08月07日 15:14
長野市在住さま
新聞など見ていますと、市民祭りなのだから市民みなが盛り上げていかなければというような論調に感じるのですが、意外と醒めている人も多いのですね。自分は少数派というのは被害妄想だったのかもしれません。
Posted by 南宜堂 at 2012年08月07日 16:29

 
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