2009年05月11日
戦国歩き巫女
◇歩き巫女、地元東御で注目 09年大河ドラマ原作に登場
来年のNHK大河ドラマ「天地人」の原作(火坂雅志さんの同名小説)に、「信州小県郡、祢津村の歩き巫女(みこ)」が度々登場することから、地元の東御市で注目が集まり、28日に勉強会が開かれた。地域の歴史に関心が高まり、観光PRにもつながるよう期待されている。 (中略)
歩き巫女は「ののう」と呼ばれ、春から秋にかけて全国を旅し、対価を得て人々に神のお告げなどを伝えたとされる。明治維新以後、減った。旧祢津村には歩き巫女が多かったといい、祢津には巫女の家が並んだ「ののう小路」、戒名に「神女」などと刻まれた墓が残る。
市観光協会は観光振興の「千載一遇のチャンス」(峯村文博会長)ととらえ、事務局は昨年末から、「天地人」関連の情報を掲載したニュースレターを既に5回発行、関係者に配っている。
28日には東信史学会長の長岡克衛さん(82)を講師に、歩き巫女の勉強会、墓や小路を巡る現地見学会も開催。地元住民や観光協会関係者、市職員ら延べ約50人が参加した。
長岡さんは勉強会で、歩き巫女を「霊魂と人とのなかだち」と表現し、特に江戸時代に多かったと説明。「各地を行き来し、庶民文化を運ぶ担い手でもあった」とした。取材に対し「なぜ祢津に歩き巫女が多かったのかは今後の研究課題」としている。
(後略)
(2008年1月30日信濃毎日新聞)
「なぜ祢津に歩き巫女が多かったのかは今後の研究課題」ということについては、ここにひとつの説があります。
信州佐久の豪族望月盛時の未亡人千代女が、武田信玄の命により禰津村に「甲斐信濃巫女道」の修練道場を開き、200~300人を超える少女達に巫女道を教えたというのです。
信玄が巫女を育てたのは彼女らを諜報員として使うためであったといわれています。これが女忍者くノ一として後世有名になります。
宗形翔の「戦国歩き巫女」はそんな史実をもとにしたフィクションですが、この本では山本勘助の娘であるゆうが望月千代女に出会い、歩き巫女として育てられるという話です。
武田信玄をはじめとする戦国武将が、情報収集手段のあまりなかった時代に、どうして敵の情報を的確に素早く集められたかということの理由にこのような忍者の存在があったということなのでしょう。
この望月氏は真田氏と同じ滋野一族、しかも同じ小県を地盤とした豪族です。歩き巫女が真田と関係があったのではないかということも考えられます。
来年のNHK大河ドラマ「天地人」の原作(火坂雅志さんの同名小説)に、「信州小県郡、祢津村の歩き巫女(みこ)」が度々登場することから、地元の東御市で注目が集まり、28日に勉強会が開かれた。地域の歴史に関心が高まり、観光PRにもつながるよう期待されている。 (中略)
歩き巫女は「ののう」と呼ばれ、春から秋にかけて全国を旅し、対価を得て人々に神のお告げなどを伝えたとされる。明治維新以後、減った。旧祢津村には歩き巫女が多かったといい、祢津には巫女の家が並んだ「ののう小路」、戒名に「神女」などと刻まれた墓が残る。
市観光協会は観光振興の「千載一遇のチャンス」(峯村文博会長)ととらえ、事務局は昨年末から、「天地人」関連の情報を掲載したニュースレターを既に5回発行、関係者に配っている。
28日には東信史学会長の長岡克衛さん(82)を講師に、歩き巫女の勉強会、墓や小路を巡る現地見学会も開催。地元住民や観光協会関係者、市職員ら延べ約50人が参加した。
長岡さんは勉強会で、歩き巫女を「霊魂と人とのなかだち」と表現し、特に江戸時代に多かったと説明。「各地を行き来し、庶民文化を運ぶ担い手でもあった」とした。取材に対し「なぜ祢津に歩き巫女が多かったのかは今後の研究課題」としている。
(後略)
(2008年1月30日信濃毎日新聞)
「なぜ祢津に歩き巫女が多かったのかは今後の研究課題」ということについては、ここにひとつの説があります。
信州佐久の豪族望月盛時の未亡人千代女が、武田信玄の命により禰津村に「甲斐信濃巫女道」の修練道場を開き、200~300人を超える少女達に巫女道を教えたというのです。
信玄が巫女を育てたのは彼女らを諜報員として使うためであったといわれています。これが女忍者くノ一として後世有名になります。
宗形翔の「戦国歩き巫女」はそんな史実をもとにしたフィクションですが、この本では山本勘助の娘であるゆうが望月千代女に出会い、歩き巫女として育てられるという話です。
武田信玄をはじめとする戦国武将が、情報収集手段のあまりなかった時代に、どうして敵の情報を的確に素早く集められたかということの理由にこのような忍者の存在があったということなのでしょう。
この望月氏は真田氏と同じ滋野一族、しかも同じ小県を地盤とした豪族です。歩き巫女が真田と関係があったのではないかということも考えられます。
Posted by 南宜堂 at 06:52│Comments(0)
│真田十勇士