2009年06月15日

豪勇の幸隆

 一方で真田幸隆にしてみれば、武田信玄の麾下に入らざるをえない状況であった。真田も含めて海野一族を小県の地から西上野に追ったのは武田や村上であったが、坂木の村上が占拠した小県に帰るためにはどうしても武田の力が必要であったのだ。
 最近の信濃毎日新聞(6月11日付)に新しい新聞小説の告知があった。
 「信濃毎日新聞は7月1日から、火坂雅志[ひさかまさし]さんの新たな歴史小説「真田[さなだ]三代」を連載します。代表作「天地人[てんちじん]」に続く作品で、県内が広く舞台になります。
 火坂さんは、1956年新潟県生まれ。03〜05年に本紙夕刊で直江兼続[なおえかねつぐ]の生涯を描いた「天地人」を連載しました。07年に同作品で中山義秀文学賞を受賞。現在は、同作品を原作にしたNHK大河ドラマも放映されています。
 六文銭の旗印のもと、信州を拠点に戦国の乱世を縦横無尽に駆け抜けた真田一族。古くから戦国武勇伝の傑出した一族として人々を魅了し、ことに幸村は今日でも抜群の人気を誇っています。真田家の生きざまがなぜ人々の心をとらえてやまないのか。歴史小説の新騎手、火坂さんの熱のこもった筆さばきにご期待ください。
 挿絵は安芸良[あきりょう]さん。47年福島県生まれ。戦国の空気感を濃密に伝えて、物語世界を深めます。
 ◆作者のことば 信州から上州にまたがる山間部の小土豪でありながら、徳川の大軍を2度も破った真田一族。そのパワーの源はどこにあったのか。幸村と兼続の交流も絡め、従来とは一味違った真田三代を描いてみたい。」

 どんな真田が展開するのか、大いに期待したいところだが、火坂さんによると「豪勇の幸隆、鬼謀の昌幸、義の幸村」なのだという。
 小説であるから仕方ないにしろ、人物中心の歴史はちょっと首をかしげざるをえない。実際に真田幸隆は豪勇の人だったのだろうか。上田原、砥石城と武田の村上攻めに先兵として参加していくのだが、豪勇であったという証拠はないようだ。


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Posted by 南宜堂 at 06:31│Comments(3)真田十勇士

この記事へのコメント

>豪勇の幸隆

はじめて聞く例えですね。

砥石城とかを攻略したのは、幸隆が謀略を駆使して村上側を切り崩したというイメージがあり、あまり『豪勇』というイメージがないですもんね。

三代だと幸隆は一番知名度が低いですから、意図的に派手目な人物設定にしたんですかね?

なんか違和感を感じますね。
Posted by ムギチョコ at 2009年06月20日 16:07
>豪勇の幸隆

はじめて聞く例えですね。

砥石城とかを攻略したのは、幸隆が謀略を駆使して村上側を切り崩したというイメージがあり、あまり『豪勇』というイメージがないですもんね。

三代だと幸隆は一番知名度が低いですから、意図的に派手目な人物設定にしたんですかね?

なんか違和感を感じますね。
Posted by ムギチョコ at 2009年06月20日 16:07
ムギチョコさま
 戦国大名の一人一人にこんな人だったという性格付けをするのは、「見てきたような嘘」のように思います。
 真田幸隆の戦いぶりについては記録らしいものが残っていないようです。領地の拡大という結果を踏まえて、武田の先兵として活躍したのではないかといわれているだけなのですね。
 幸隆については改めてブログで取り上げます。
Posted by 南宜堂 at 2009年06月21日 18:45

 
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