2009年07月02日
真田三代の肖像
今日から信濃毎日新聞で火坂雅志さんの「真田三代」の連載がはじまった。期待が大きいのか、信濃毎日では広告特集まで組んでいる。大河ドラマの原作者の作品であり、地元を舞台にした小説ということで期待も膨らむのだろう。将来は大河ドラマにというような思惑もあるのかもしれない。
こういう現象に異を唱えようとは思わないが、例えばNHKの大河ドラマのストーリーが歴史のごとくに語られるのはなんとも不思議な現象だと思う。小説というのはあくまでも作家の頭の中で作られた世界であり、歴史上の人物を素材にしたとしてもそれはあくまでも作者がとらえた歴史上の人物なのだと思う。それに向き合う読者というのは一人であり、作者が作り上げた世界を本を読むという行為を通して理解すべきものなのだ。
それが、視聴者という集団でテレビの中の世界を無批判に歴史として受け入れてしまうのはいかにもおかしな話なのである。
ただ、誤解されては困るのであるが、私は歴史家のように真田一族の実像を見よという風には言うつもりはない。そういう実証的な研究は専門家に任せればいいことで、フィクションとしての真田を楽しめばいいのだと思う。
小林計一郎先生は、その著書「武田軍記」の冒頭で次のように書いておられる。「ここに私が書こうとする「武田軍記」は歴史書であるが、もちろん専門書ではない。かといって単なる軍記物語や案内記でもない。専門書でないから、わずらわしい考証はなるべく避けるが、そうかと言って小説ではないから、フィクションはいっさい用いない。確実な史料のあるものは、たとえ軍記物語・通俗史書におもしろい話があっても、確実な史料に従う。事実こそもっとも興味深いからである。」
その通りだと思う。私たちが歴史を論ずるというとき、史実に基づかない議論はまさに空論なのである。大河を論ずるとき、私たちは歴史を論じているのではなく、作者によって作られたフィクションとしての歴史を論じているのだという自覚を常に抱いているべきなのだ。
しかし、私は「真田三代記」や「立川文庫」の真田幸村像は、通俗史書だからといって切り捨てるにはもったいないのではないかと思う。江戸や明治の人々がどんな思いでフィクションとしての真田の物語を作り、それに拍手したのか、それを探るのも興味深い歴史の研究なのではないかと思うのだ。
写真は上田駅前の真田幸村像(撮影 A.H.氏)
こういう現象に異を唱えようとは思わないが、例えばNHKの大河ドラマのストーリーが歴史のごとくに語られるのはなんとも不思議な現象だと思う。小説というのはあくまでも作家の頭の中で作られた世界であり、歴史上の人物を素材にしたとしてもそれはあくまでも作者がとらえた歴史上の人物なのだと思う。それに向き合う読者というのは一人であり、作者が作り上げた世界を本を読むという行為を通して理解すべきものなのだ。
それが、視聴者という集団でテレビの中の世界を無批判に歴史として受け入れてしまうのはいかにもおかしな話なのである。
ただ、誤解されては困るのであるが、私は歴史家のように真田一族の実像を見よという風には言うつもりはない。そういう実証的な研究は専門家に任せればいいことで、フィクションとしての真田を楽しめばいいのだと思う。
小林計一郎先生は、その著書「武田軍記」の冒頭で次のように書いておられる。「ここに私が書こうとする「武田軍記」は歴史書であるが、もちろん専門書ではない。かといって単なる軍記物語や案内記でもない。専門書でないから、わずらわしい考証はなるべく避けるが、そうかと言って小説ではないから、フィクションはいっさい用いない。確実な史料のあるものは、たとえ軍記物語・通俗史書におもしろい話があっても、確実な史料に従う。事実こそもっとも興味深いからである。」
その通りだと思う。私たちが歴史を論ずるというとき、史実に基づかない議論はまさに空論なのである。大河を論ずるとき、私たちは歴史を論じているのではなく、作者によって作られたフィクションとしての歴史を論じているのだという自覚を常に抱いているべきなのだ。
しかし、私は「真田三代記」や「立川文庫」の真田幸村像は、通俗史書だからといって切り捨てるにはもったいないのではないかと思う。江戸や明治の人々がどんな思いでフィクションとしての真田の物語を作り、それに拍手したのか、それを探るのも興味深い歴史の研究なのではないかと思うのだ。
写真は上田駅前の真田幸村像(撮影 A.H.氏)
Posted by 南宜堂 at 00:14│Comments(0)
│真田十勇士