2009年09月02日

暗殺について

 私も会員になっている戊辰戦争研究会のホームページ(http://www32.ocn.ne.jp/~jmaieh/boshin/index.htm)では、今坂本龍馬暗殺の真犯人を推理する試みが行われている。龍馬は研究会の中でも人気が高く、論戦は活発だ。興味のある方は覗いてみていただきたいが、論争が行われているのは会員だけしか閲覧できない『掲示板』である。
 暗殺というとどうしても陰惨なイメージがつきまとい、歴史の暗部という印象が強い。特に幕末期というのは異常な時代であった。暗殺事件は毎日のように起こっていた。佐久間象山も赤松小三郎も尊王攘夷を唱える者たちによって殺されている。
 最近の暗殺事件は銃によるものがほとんどであるが、江戸時代は剣によるものがほとんどであった。もちろん龍馬暗殺も剣によるものであった。現代の私たちにはよく理解できないことだが、剣は武士の魂というように言われていて、神聖なものであった。だから、暗殺であろうが武士が剣を使うということには自分を納得させることができる理由が必要であった。龍馬の暗殺者たちも当然坂本龍馬を暗殺すべしという正当な理由があって実行したことなのである。
 剣豪といわれた荒木又右衛門は、剣によって相手を倒す時は一撃によらなければならないと言っていたという。としながらも、有名な鍵屋の辻の仇討ちの時は、朝早くに戦いがはじまって、決着がついたのが昼過ぎになったというから、普段豪語しているようにはいかなかったのであろう。俗に36人斬りといわれているが、実際に死んだのは双方で5人、負傷したものは5人であった。
 それほどに剣で人を殺すことは大変なことなのだ。映画やテレビのように格好よくバサバサと斬るなどということはありえないことなのだ。
 失敗が許されない暗殺の場合など、周到な計画のもとに実行に移されたのである。例えば近藤勇や土方歳三による芹沢鴨の暗殺である。腕の立つ相手ということもあるが、近藤らは芹沢を泥酔させ、寝入ってから襲撃を敢行している。やり方が卑怯なのは近藤らが根っからの武士ではなかったからだろう。
 坂本龍馬の暗殺もおそらくは腕の立つ集団により綿密に練られた計画のもとに実行されたもであろう。これだけの集団を動かすということになれば、個人の意志ということではなく、何らかの巨大な力が働いていたと考えて間違いないだろう。


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Posted by 南宜堂 at 11:03│Comments(0)幕末・維新
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