2011年12月28日

軍人嫌い

 盛林堂書店から浅草に向かった。歴史仲間の史跡巡りに合流するためである。 この集まりは、昨年まで戊辰戦争研究会という団体に属していた人たちの一部で、会のゴタゴタがあって解散したあと、年に何回かの集まりをもっている。この日は、地元東京をはじめ、長崎、名古屋、仙台、福島、新潟などから20名ほどが集まった。盛会である。
 戊辰戦争研究会というが、この会は明治維新の際、いわゆる官軍に抗して戦った奥羽の諸藩にシンパシーを感じる人たちの集まりで、東北や関東の人たちが多い。私はどちらかというと、戊辰戦争の時の信州の諸藩と同じでどっちつかずの日和見ではあるが、仲間に加えていただいて楽しんでいる。
 戊辰戦争は、日本史上最後のサムライ対サムライの戦いであった。明治維新でサムライがいなくなるのだから当然といえば当然だが、この後明治になると、徴兵制が布かれ、国民皆兵、百姓も町人も銃を取って戦場に出るようになる。
 江戸時代も末期となると、武士階級は官僚化し、武をもって仕えるという本来の姿は無くなっていた。しかし、そうはいっても武士は武士、戦いのプロである。戊辰戦争に参戦したものは戦うことを覚悟したものたちであった。しかし、明治なって起こった戦争は、徴兵された百姓や町人が鉄砲を持って戦った戦争であった。戦う覚悟などはじめからない、お国のためと仕方なく戦場に駆り出されたものたちの戦いであった。そのへんが江戸時代までの戦争と明治以降の戦争の大きな違いではないかと、私は思っている。
 評判のドラマ「坂の上の雲」の主人公秋山兄弟は、職業軍人である。百姓や町人上がりの兵隊を駒のように使って戦争をするプロである。だから私は、軍人の視点で描いた戦争ドラマや映画は好きになれない。このドラマも正岡子規が死んだあたりで見るのをやめてしまった。話題の映画「山本五十六」も多くの方に勧められるが見る気にはなれない。
 狭い了見だとは思う。軍人であっても魅力的な人物はいるわけで、秋山兄弟や山本五十六はその最たるものだろう。この映画のホームページによれば、山本は最後まで日米開戦に反対した軍人であったというし、真珠湾奇襲作戦にしても、緒戦で戦いを有利に運び、早期に和平に持ち込む作戦であったという。しかし、山本五十六の思惑は外れ、戦いは泥沼化し、ついには広島、長崎への原爆投下という悲惨なかたちで終末を迎えた。
 史跡めぐりは、浅草を出発して、建設中のスカイツリーのあたりまで歩いたのだが、途中すみだ郷土文化資料館に立ち寄った。ここでは東京大空襲を描いた絵画の展示が行われていた。東京の下町を焼き尽くした東京大空襲は、亡くなった人のほとんどが非戦闘員であった。もちろんこのことは山本一人が責任を負うべきものでないことはわかっているが、日米開戦の帰結点であったことはまちがいない。
 秋山兄弟や山本五十六といった強い指導力と責任感をもった軍人がもてはやされる風潮というのは、今の政治指導者たちがあまりにも不甲斐ないからなのかもしれない。それは今回の震災対応でより強くなった。
 だが、こういった魅力的な私心のない指導者に導かれれば、私たちは幸せになれるのだろうか。どんな素晴らしき指導者であっても人が人を支配するということは、諸手を挙げて喜べないことではないかと思う。北朝鮮の将軍様だって偉大な指導者であっただろう。
軍人嫌い


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Posted by 南宜堂 at 23:50│Comments(0)幕末・維新

 
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