2011年02月11日

次郎長傳

 なぜか1週間で静岡までを2往復した。信州から行くと、あちらはもうすっかり春だった。長野に帰ると相変わらずの雪空、不公平だなという思いである。
 清水(今は静岡市清水区だそうだ)で時間があったので、清水次郎長の菩提寺に行った。梅陰寺という。一角が次郎長記念館になっていて、遺品が並べてあった。バックグラウンドには広沢虎造の浪曲が流れていた。
次郎長傳

次郎長の墓
ここの売店で「梅陰寺清水次郎長伝」を求める。著者の田口英爾は、この寺の子息であるという。
この店の方に教えていただいて、次郎長の生家に向かう。一帯は次郎長通りという商店街になっている。さらに、晩年に船宿を営んでいた場所にその建物が復元されているというので、そこにも立ち寄る。
次郎長傳

生家
ここ清水における次郎長の位置は微妙である。清水エスパルスやちびまる子ちゃんの方が明るいし健康的だから、そちらが目立つ。しかし、年寄りには清水港といえば次郎長、東映の時代劇や虎造の浪花節で有名だ。
船宿末廣の受付にいた女性の話によると、最近は若い人も訪ねて来るという。山岡鉄舟や徳川慶喜のエピソードに登場する堅気になった次郎長の姿を求めて来るようだ。
次郎長傳

船宿末廣


同じカテゴリー(幕末・維新)の記事画像
佐久間象山と会津藩
軍人嫌い
男磨いた勇み肌
意地と度胸じゃ負けないが
次郎長傳 2
寺田寅彦の井口村事件
同じカテゴリー(幕末・維新)の記事
 愚庵と千葉卓三郎 (2013-09-09 09:52)
 愚庵とニコライ神父 (2013-09-04 23:42)
 天田愚庵のこと (2013-08-29 10:53)
 これもまた「薮の中」 (2013-07-01 10:06)
 ある二本松藩士のこと (2013-06-17 23:56)
 佐久間象山と会津 2 (2013-01-22 21:18)

Posted by 南宜堂 at 22:42│Comments(0)幕末・維新
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。