2009年12月30日

智なき者たちの明治

 話題のテレビドラマ「坂の上の雲」をワクワクしながら見ている人も多いと思います。明治の若者たちは、あれほどに高い希望を持って生きていたのだと。閉塞した現代日本の現状を考えると、羨望の思いさえ感じます。
 しかし、少し冷静になって考えなければいけないと思うのは、あそこに登場する主人公たち、秋山兄弟にしろ、正岡子規にしろ、当時の人たちの中ではある程度知的水準の高い、いわば選ばれた人たちであるということです。
 彼らは没落したとはいえ、伊代松山藩の士族の子弟です。松山藩は明治維新の時賊軍となったため、その藩士たちはさまざまな点で苦しんだわけなのですが、それでも東京に遊学し、最高学府に学ぶ事ができた青年たちです。
 明治維新というのは、徳川時代に支配者であった武士階級、司馬遼太郎は読書階級という言い方をしていますが、その中でも下層に位置する武士たちが中心となって起こした革命です。その中には、郷士とか神官とか名主階級の一部も含まれています。したがって明治の社会というのは、読者階級に属する者たちには、大きな可能性が開かれた社会でした。身分の上下が取り払われ、下級武士の子弟であっても、努力次第では末は博士か大臣かと、大きな希望に満ちた社会でした。
 ただ私は、あのドラマの中で、青雲の志に燃えて東京に出て行く青年たちの傍らで、黙々と舟を漕いでいた船頭とか、海岸で遊んでいる子供たちの明治というのはどうだったのかと、ふと思ってしまうのです。
 もちろん四民平等の社会になったのですから、どんな身分の者にも等しく道は開かれているはずです。問題はそのことに目覚めて努力するかどうかということなのでしょう。
 例えば、明治5年の学制は国民誰もが教育を受けることを目指したものですし、有名な福沢諭吉の「学問のすすめ」は、学ぶことの重要性を平易に記したもので、明治のベストセラーでした。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。(中略)されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥《どろ》との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教《じつごきょう》』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」

 だから学ばなければいけないという、誠に啓蒙的な一文です。
 私は、坂の上の雲を目指してひたすら上っていった秋山兄弟や正岡子規の青春を否定するものではありませんし、その軌跡が「まことに小さな国」である日本の青春ともいうべき明治と重なるのではないかということも確かだと思います。
 ただ圧倒的な大多数の人々の明治、智なき者たちの明治があることも確かなことです。


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Posted by 南宜堂 at 20:30│Comments(0)幕末・維新
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