2010年12月11日
龍馬伝と御都合主義の作家
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」は坂本龍馬の暗殺で終わった。龍馬が抱いた夢の物語はまだまだ続くのだが、主人公の死をもって、ドラマも終わってしまった。犯人は定説通り見廻組、ただその命令者には触れられていなかった。
最近になって会津藩が黒幕であるという説が注目されているようである。というのは、実行犯の一人佐々木只三郎の実兄で会津藩士の手代木直右衛門が死に際して語り残しているのがわかったからという。
それによると、坂本龍馬は当時薩摩と長州を同盟させたこと、土佐藩の藩論を倒幕に導いた張本人として、幕府よりマークされていた。佐々木は某諸侯の命を受け龍馬を殺害したのであるという。某諸侯とは会津藩主松平容保の実弟で京都所司代を務めていた桑名藩主の松平定敬であるのだという。手代木が死に際まで沈黙を守っていたのは主君にまで累が及ぶことを恐れたからであるというのだ。
これに対し、歴史作家の星亮一氏は手代木がなぜ主君の不利になるような証言をしたのかと疑問を投げかける。その上で無実の佐々木只三郎を犯人に仕立てるために手代木は新政府の首脳と取り引きをしたのだというのだ。見返りは手代木の明治政府への出仕と栄進であったという。
しかし、これはどう考えてもおかしい。手代木が言い残したのは死の直前である。一方手代木が特赦により出獄し、新政府に出仕したのは明治5年のことである。地獄での栄進でも約束されたのだろうか。新政府との取り引きがあったならば、告白は断然明治5年以前でなければならないのである。
手代木は、藩主松平容保とともに上洛し会津藩の公用方を務めた重臣である。鶴ヶ城の籠城戦においてはその指導者であった。そんな人物を単なる推測だけで無実の実弟を殺人犯にしたと決めつけていいのだろうか。単なる憶測と自分の都合だけで手代木を貶めているとしか思えない。
この説は星氏の龍馬についての著書にあるのだという。こんな何の根拠もない憶測を出版という形で発表されたのでは、たまったものではない。手代木直右衛門は泉下にあり何の抗議もできないのである。
複数の証言から犯人は佐々木只三郎を含む見廻組で間違いない。寺田屋で幕吏を殺したことで、龍馬は幕府の役人から追われていた。佐々木らは自分たちの職務に忠実であっただけなのである。命令は上から出たのかも知れないが、それが誰であるかということはそれほど問題ではない。殺す側に龍馬の偉大さがわかっていたとは思えないからだ。坂本龍馬は一介の土佐浪士として切られた。彼が英雄になるのはもっとずっと後になってからだ。
最近になって会津藩が黒幕であるという説が注目されているようである。というのは、実行犯の一人佐々木只三郎の実兄で会津藩士の手代木直右衛門が死に際して語り残しているのがわかったからという。
それによると、坂本龍馬は当時薩摩と長州を同盟させたこと、土佐藩の藩論を倒幕に導いた張本人として、幕府よりマークされていた。佐々木は某諸侯の命を受け龍馬を殺害したのであるという。某諸侯とは会津藩主松平容保の実弟で京都所司代を務めていた桑名藩主の松平定敬であるのだという。手代木が死に際まで沈黙を守っていたのは主君にまで累が及ぶことを恐れたからであるというのだ。
これに対し、歴史作家の星亮一氏は手代木がなぜ主君の不利になるような証言をしたのかと疑問を投げかける。その上で無実の佐々木只三郎を犯人に仕立てるために手代木は新政府の首脳と取り引きをしたのだというのだ。見返りは手代木の明治政府への出仕と栄進であったという。
しかし、これはどう考えてもおかしい。手代木が言い残したのは死の直前である。一方手代木が特赦により出獄し、新政府に出仕したのは明治5年のことである。地獄での栄進でも約束されたのだろうか。新政府との取り引きがあったならば、告白は断然明治5年以前でなければならないのである。
手代木は、藩主松平容保とともに上洛し会津藩の公用方を務めた重臣である。鶴ヶ城の籠城戦においてはその指導者であった。そんな人物を単なる推測だけで無実の実弟を殺人犯にしたと決めつけていいのだろうか。単なる憶測と自分の都合だけで手代木を貶めているとしか思えない。
この説は星氏の龍馬についての著書にあるのだという。こんな何の根拠もない憶測を出版という形で発表されたのでは、たまったものではない。手代木直右衛門は泉下にあり何の抗議もできないのである。
複数の証言から犯人は佐々木只三郎を含む見廻組で間違いない。寺田屋で幕吏を殺したことで、龍馬は幕府の役人から追われていた。佐々木らは自分たちの職務に忠実であっただけなのである。命令は上から出たのかも知れないが、それが誰であるかということはそれほど問題ではない。殺す側に龍馬の偉大さがわかっていたとは思えないからだ。坂本龍馬は一介の土佐浪士として切られた。彼が英雄になるのはもっとずっと後になってからだ。
Posted by 南宜堂 at 01:29│Comments(0)
│幕末・維新
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