2008年11月05日

長野市のうた

 ローカルな話題になりますが、長野市民の皆さんで、長野市の歌というのを知っている人はどのくらいおられるのでしょうか。私は半世紀近くも長野市に住んでおりますが、知りませんでした。初音みくさんという方がYouTubeに投稿していただいた長野市の歌です。
 ちょっと感動しました。特に「ながの ながの だいながのしよ」というところが好きです。しゃもじを持って「ながの(右でちょんちょん) ながの(左でちょんちょん) だいながしよ(前でちょんちょん)」こんな風にするとびんずるの時にみんなで踊れそうですね。


 もっとも昔も長野市の歌というのがあって、こちらは学校で教わったせいかなんとか一番くらいは覚えています。
山は清らに緑薫りて
平和の町よこころのふるさと
鐘なる空に鳩は舞いて 高き文化を築く喜び
ああ 長野市○○の都 (○○不明)

 格調高い歌だとは思いませんか。「鐘なる空に鳩は舞いて 高き文化を築く喜び」のところが好きでした。
 おそらく長野市も合併を繰り返し、歌詞が大長野市にそぐわなくなって新しい歌ができたのだと思います。



Posted by 南宜堂 at 22:50│Comments(12)

この記事へのコメント

長野市歌は今も長野市の小学校で習っているので知っている人は多いと思います
私も 子供達も歌えます(^O^)/
壮大な感じの?歌だと思います。

昔の長野市の歌の存在は知りませんでした

今日 長野電燈発祥の地の石碑の記事を載せ、南宜堂さまのブログで~と紹介させていただきました
関連の過去の記事を拝見したら電気会社がここに建っていたのですね。

大門の交差点のこんな近くにあったのですね!
Posted by みうみうBETTY at 2008年11月07日 21:01
旧長野市の歌詞
作詞 勝 承夫
作曲 平井 康三郎

山は清らに 緑かおりて
平和の町よ 心のふるさと
鐘なる空に 鳩はまいて
高き文化を 築く喜び
わが長野市 英知の都

あんず色どり リンゴたわわに
みのりはうれし 沃野は輝く
犀川、千曲 ここに結び
力沸き立ち 夢はあたらし
わが長野市 希望の都

呼ぶよ高原 雲のかなたに
観光楽し 飯綱、戸隠
理想の光 はゆる所
進む信濃の 強きさきがけ
わが長野市 我等が都
Posted by 安茂里太郎 at 2012年11月19日 10:21
安茂里太郎さま
長野市の歌、歌詞をありがとうございます。2番、3番は初めて聞くような新鮮さです。
Posted by 南宜堂 at 2012年11月19日 22:41
私は昭和22年生まれです。城東小学生の時長野市の歌(旧歌)を歌いながら市内を行進し、城山小学校の校庭に集合した思いがあります。半世紀以上も前のことなのでよく覚えていませんが、長野市の何かの記念日だったのでしょうね。
メロディーは忘れたのですが、最後の『わが 長野市 ○○の都』の部分だけはよく覚えています。18歳で長野を離れ、それ以降は長野に住んでいませんが懐かしく思い起こしました。
Posted by 吉田健一 at 2013年07月01日 08:21
吉田健一様
長野市役所の最初の庁舎(仮庁舎)は城山小学校にあったようですので、その記念でしょうか。昔の長野市は小学校も少なかったからそんな集会や音楽会も合同でできたのですね。
Posted by 南宜堂南宜堂 at 2013年07月01日 10:19
南宜堂さま
  コメントありがとうございます。
Posted by 吉田健一 at 2013年07月01日 15:39
私は、昭和26年生まれです。長野市立城東小学校に3年生から卒業まで在籍しました。この「旧長野市の歌」は、50年以上経った今でも完璧に歌えます。長野市にふさわしい大変良い歌だと思います。復活を強く希望します。よく覚えている理由は「城東小学校」にあります。その頃は、新しく設立・開校して数年しか経っておらず「校歌」が、まだありませんでした。従って、あらゆる学校行事で校歌を歌う場面では、この「旧長野市の歌」を、全生徒で歌っていたわけです。私が卒業して数年後に、やっと「城東小学校の校歌」ができた、という噂を耳にしました。
Posted by 島田 実 at 2013年09月07日 21:45
島田様
コメントありがとうございます。私は山王小学校の卒業ですが、当時から校歌ははありました。国道18号線、旭山、裾花川を詠みこんだものでした。
長野市の歌もよく歌いました。市域が広がって復活は難しいでしょうが。歌い継がれてほしいものです。
Posted by 南宜堂南宜堂 at 2013年09月10日 09:40
今日、たまたま聞いていた「SBCラジオの「GOGOワイドラジカン」で、昭和30年頃の長野市歌についての話題がでかかり、一瞬期待しましたが、あっさりとその頃の歌は2代目の市歌だということだけで、現在の市歌(3代目らしい)の話題になってしまいました。どうもパーソナリティも対応した長野市の担当者も旧長野市歌についてはは知らないようで、残念でした。昭和40年代、城山の市営球場で行われた、市内の中学の陸上競技大会などで、集まったおそらく長野市内の全中学生が一緒に歌ったのではないでしょうか。こちらにたどりつきうろ覚えだった歌詞が確認できうれしいです。
Posted by 松本稲作 at 2014年03月05日 22:22
松本さま、ありがとうございます。
いい歌ですから旧長野市の歌は歌い継がれてほしいですね。
松本、伊那、佐久、善光寺の信濃の国は明治から歌い継がれていますから。
Posted by 南宜堂南宜堂 at 2014年03月06日 09:36
昭和24年3月の生まれです。小学校1年入学時は城山小学校、確か夏休みが終わり先生に引率され新築の城東小学校に移りました。長野市の歌は色々な記念日や集まりにはいつも歌っていました。60年過ぎた今でも1番は覚えています。
Posted by 安田 at 2017年10月24日 13:18
旧長野市歌は本当に名曲です。「山は清らに 緑薫りて 平和の街よ こころのふるさと 鐘鳴る空に 鳩は舞いて 高き文化を 築くよろこび わが長野市 叡智の都」です。 作詞は勝承夫(かつ よしお)、作曲は平井康三郎です。以前長野市の担当者の方からもらった楽譜のコピーをもとに書き込みしていますので、間違えありません。歌っていて気持ちいい素晴らしい曲です。このまま忘れ去られてしまうにはもったいない曲です。
Posted by 長谷部力 at 2018年12月09日 17:27

 
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