2008年09月30日
豆腐の未来
私はグルメというわけではありませんから、高くてもうまい豆腐が食べたいとか、高級な納豆が食べたいとは思いません。しかし、普通は100円以上もする豆腐が30円で買えるということには、どこかにからくりがあるのではないかと疑ってしまいます。
炊飯器とか洗濯機とかいった家電の登場によって、主婦が家事労働から解放されたということがいわれています。朝早く起きて、薪に火をつけることからはじめていた飯炊きやたらいと洗濯板でゴシゴシと洗っていた洗濯が自動化されたことは、主婦には夢のような出来事だったと思います。
同じように、豆腐作りや墓石造りが機械の力によって合理化され楽になったのは、前回の松下竜一の指摘した通りです。しかし、松下さんも言うように、そうなることで丹精込めてつくるという意識がだんだん希薄にもなっているのです。家電の登場で家事労働が軽減されることで、主婦が楽になったのですが、家族のために食事を作るとか洗濯をするという主婦の誇りが希薄になったように、機械化した社会からは自立した職人の姿が消え、ものづくりに対する誇りのようなものまでなくなっていったのではないでしょうか。今の社会は、零細な豆腐製造業者などいなくなっても安い豆腐が買えればそれでいいのだ、ということなのかも知れません。
実は私はこう見えても、家族5人の家事を行う主夫でもあります。その経験から言えるのは、飯炊きや洗濯ばかりでなく、日々の料理もほんだしとかカレールーとかなんとかの素といったものがたくさん売られていて、たとえば肉じゃがをつくるのにもすき焼きのたれを加えれば簡単にできるし、煮魚だって煮魚のたれがあって、私なんかにも簡単にできるようになっています。便利なのでつい使ってしまうのですが、たとえば魚を煮るのにしょうゆと酒とみりんとしょうがで煮込んでやると味はいびつで時間もかかりますが、やったという思いは残ります。家族にもちょっと自慢してやりたくなります。
おふくろの味だとしんじていたものが、実はエバラすき焼きのたれの味だったなんてのは実際にありそうなブラックユーモアです。使えば誰でもが味のいい料理ができるのに決まっているインスタント食品を、敢えて使わないという気概も時には必要なのではないかと思うのです。洗濯は手でやれとか飯炊きはかまどでといようなアナクロニズム(かまど炊きを自慢にしている食堂もありますが、それはそれを売りにしているのですから家庭でまねをしても大変なだけです)を主張しているのではなく、敢えて手を加えるということもするべきではないかと思っています。
炊飯器とか洗濯機とかいった家電の登場によって、主婦が家事労働から解放されたということがいわれています。朝早く起きて、薪に火をつけることからはじめていた飯炊きやたらいと洗濯板でゴシゴシと洗っていた洗濯が自動化されたことは、主婦には夢のような出来事だったと思います。
同じように、豆腐作りや墓石造りが機械の力によって合理化され楽になったのは、前回の松下竜一の指摘した通りです。しかし、松下さんも言うように、そうなることで丹精込めてつくるという意識がだんだん希薄にもなっているのです。家電の登場で家事労働が軽減されることで、主婦が楽になったのですが、家族のために食事を作るとか洗濯をするという主婦の誇りが希薄になったように、機械化した社会からは自立した職人の姿が消え、ものづくりに対する誇りのようなものまでなくなっていったのではないでしょうか。今の社会は、零細な豆腐製造業者などいなくなっても安い豆腐が買えればそれでいいのだ、ということなのかも知れません。
実は私はこう見えても、家族5人の家事を行う主夫でもあります。その経験から言えるのは、飯炊きや洗濯ばかりでなく、日々の料理もほんだしとかカレールーとかなんとかの素といったものがたくさん売られていて、たとえば肉じゃがをつくるのにもすき焼きのたれを加えれば簡単にできるし、煮魚だって煮魚のたれがあって、私なんかにも簡単にできるようになっています。便利なのでつい使ってしまうのですが、たとえば魚を煮るのにしょうゆと酒とみりんとしょうがで煮込んでやると味はいびつで時間もかかりますが、やったという思いは残ります。家族にもちょっと自慢してやりたくなります。
おふくろの味だとしんじていたものが、実はエバラすき焼きのたれの味だったなんてのは実際にありそうなブラックユーモアです。使えば誰でもが味のいい料理ができるのに決まっているインスタント食品を、敢えて使わないという気概も時には必要なのではないかと思うのです。洗濯は手でやれとか飯炊きはかまどでといようなアナクロニズム(かまど炊きを自慢にしている食堂もありますが、それはそれを売りにしているのですから家庭でまねをしても大変なだけです)を主張しているのではなく、敢えて手を加えるということもするべきではないかと思っています。
Posted by 南宜堂 at
08:55
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2008年09月28日
納豆と豆腐と
納豆も豆腐ももともとは中国で発明された食品ですが、古くから日本に入り、独自の発展を遂げてきたもので、わが国独特の食品といってもけっして過言ではないと思います。
私の子供の時分には、納豆も豆腐も自転車に乗ったおじさんが売りに来たものでした。そういえば、昔の田舎にはそんなおじさんたちが多くやってきました。アイスキャンデー、魚屋みんな行商のおじさんが売りに来たものです。
納豆は朝暗いうちから「なっとー、なっとー」と独特の間延びした売り声でやってきました。豆腐は夕方、これはラッパを吹いて売りにきました。それはいつ頃まで続いていたのか。それが、両方ともスーパーなんかで売られるようになり、今では1丁20円だ30円だという豆腐や3パックで60円、70円という納豆が当たり前のように売られていて、客寄せの目玉商品となっています。
こういう風に豆腐や納豆が売られたのでは、町の零細製造業者はひとたまりもないことでしょう。現に路地裏なんかにあった○○豆腐店などという看板は見られなくなりました。
1968年「豆腐屋の四季」という本で話題になった松下竜一の、その「豆腐屋の四季」に収録されている「石工の友」というエッセィの一節です。
「豆腐屋も石工も、元は手のみたよりにこつこつと働いたのだ。それでよかったのだ。だが否応なく機械は侵入を始め、それを利用せねば業界で生き抜けなくなってきたのだ。機械がひとつ入り、ひとつ楽になるだけ、ものを創る誇りや愛情や手ごたえが薄らいでゆくのに、私も彼もとまどっているのだ。」
豆腐も納豆も主な原料は大豆です。その大豆のほとんどは外国産のものに頼っているわけで、いまその外国産の食の安全性ということが大きな問題となっています。さらに、その加工の過程に機械力が導入され、中小の製造業者は廃業せざるをえない状況が、戦後の経済発展の中で行われてきました。松下竜一もやがて豆腐屋を廃業します。
そして、その後に現れてきたのが豆腐や納豆の安売り合戦と食の安全神話の崩壊です。私たちの選択はどこかで間違ってしまったのではないかと思います。
私の子供の時分には、納豆も豆腐も自転車に乗ったおじさんが売りに来たものでした。そういえば、昔の田舎にはそんなおじさんたちが多くやってきました。アイスキャンデー、魚屋みんな行商のおじさんが売りに来たものです。
納豆は朝暗いうちから「なっとー、なっとー」と独特の間延びした売り声でやってきました。豆腐は夕方、これはラッパを吹いて売りにきました。それはいつ頃まで続いていたのか。それが、両方ともスーパーなんかで売られるようになり、今では1丁20円だ30円だという豆腐や3パックで60円、70円という納豆が当たり前のように売られていて、客寄せの目玉商品となっています。
こういう風に豆腐や納豆が売られたのでは、町の零細製造業者はひとたまりもないことでしょう。現に路地裏なんかにあった○○豆腐店などという看板は見られなくなりました。
1968年「豆腐屋の四季」という本で話題になった松下竜一の、その「豆腐屋の四季」に収録されている「石工の友」というエッセィの一節です。
「豆腐屋も石工も、元は手のみたよりにこつこつと働いたのだ。それでよかったのだ。だが否応なく機械は侵入を始め、それを利用せねば業界で生き抜けなくなってきたのだ。機械がひとつ入り、ひとつ楽になるだけ、ものを創る誇りや愛情や手ごたえが薄らいでゆくのに、私も彼もとまどっているのだ。」
豆腐も納豆も主な原料は大豆です。その大豆のほとんどは外国産のものに頼っているわけで、いまその外国産の食の安全性ということが大きな問題となっています。さらに、その加工の過程に機械力が導入され、中小の製造業者は廃業せざるをえない状況が、戦後の経済発展の中で行われてきました。松下竜一もやがて豆腐屋を廃業します。
そして、その後に現れてきたのが豆腐や納豆の安売り合戦と食の安全神話の崩壊です。私たちの選択はどこかで間違ってしまったのではないかと思います。
Posted by 南宜堂 at
10:27
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2008年09月27日
地方に住むことの
長く都会で教師をしている友人が、来年仕事を引退するのだというのですが、それでも長野には帰らないだろうと言っています。町を歩くのが好きで、暇を見つけては東京のあちらこちらを歩いているようですが、長野には歩きたくなるような町がないのだといいます。もちろんそんなことだけが長野に戻らない理由ではないのでしょうが、田舎暮らしはいろいろな面で退屈なのでしょう。
私は二十代の前半外に出ていましたが、あとはずっとこちらに住んでいますので、まあこんなものなのだろうと思っていますが、それでも時には地方に住むことの飢餓感を思うことはあります。たとえば、見たい映画が見られないとか、聞きたいコンサートに行けないとかそんなことです。
池波正太郎のエッセイには、銀座で映画の試写会を見て、そば屋に寄ったり、資生堂パーラーで食事をしたりとかいった散歩のことが紹介されていますが、そんなものが地方にもあればいいとは思います。
小林一茶は、故郷柏原に帰って、「これがまあ」と雪五尺の世界を嘆いておりますが、それからの展開はすごかった。雪五尺の世界にどっぷりとつかりながら、そこから突き抜けるような句を数多く作っています。
その一茶の里で、地元産の農産物をつかったフランス料理の試食会が行われたと言うことです。今後はレシピを町内の飲食店に配り、新しい名物として広めていこうということのようです。田舎といえば、恵まれた食材に素朴な料理と、相場は決まっていたようですが、それを外した試みには期待したくなります。
私は二十代の前半外に出ていましたが、あとはずっとこちらに住んでいますので、まあこんなものなのだろうと思っていますが、それでも時には地方に住むことの飢餓感を思うことはあります。たとえば、見たい映画が見られないとか、聞きたいコンサートに行けないとかそんなことです。
池波正太郎のエッセイには、銀座で映画の試写会を見て、そば屋に寄ったり、資生堂パーラーで食事をしたりとかいった散歩のことが紹介されていますが、そんなものが地方にもあればいいとは思います。
小林一茶は、故郷柏原に帰って、「これがまあ」と雪五尺の世界を嘆いておりますが、それからの展開はすごかった。雪五尺の世界にどっぷりとつかりながら、そこから突き抜けるような句を数多く作っています。
その一茶の里で、地元産の農産物をつかったフランス料理の試食会が行われたと言うことです。今後はレシピを町内の飲食店に配り、新しい名物として広めていこうということのようです。田舎といえば、恵まれた食材に素朴な料理と、相場は決まっていたようですが、それを外した試みには期待したくなります。
Posted by 南宜堂 at
23:02
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2008年09月24日
選挙について
解散総選挙が確実に年内には行われる模様です。国民が自分の意志を政治に反映させる唯一の機会ですから、一票は大切に行使したいものです。その国の政治のレベルは国民のレベルに比例するというようなことを誰かが言っていましたが、どうも最近の選挙は話題作りをしてマスコミがおもしろおかしく取り上げたもの勝ちというような傾向にあるようで、これが日本国民のレベルであるようです。
その最たるものが前回の総選挙でした。郵政民営化是か非かということで国民は小泉純一郎に踊らされ、結局は自民党圧勝に終わったわけです。小泉というのはオモロイ奴やというイメージだけでとはいいませんが、そんな動機で選挙権を行使した人が結構いたのではないでしょうか。
最近の民放テレビの政治番組を見ていると、バラエティに限りなく近づいているのではないかと思ってしまいます。テレビ局の人たちが、そうでもしないと国民は見てくれないのだと思っているようですし、政治家もウケネライでしゃべらないと誰も注目してくれないと思っているようで、まるで売れない芸人のようです。それでいて、したり顔で「国民はそれほど馬鹿ではない」などとコメントするわけですが、彼らが馬鹿なように国民もやはり馬鹿なのでしょう。
ウケネライの政治家がテレビで発言し、それを電波に流すテレビ局もやはりウケネライ。うけることを言うかどうかだけで、政治家や政党の価値を決めているのが今の日本の政治だとしたら、なぜそんな風になってしまったのか。馬鹿から脱却して考えて見なきゃいかんと思うのです。
その最たるものが前回の総選挙でした。郵政民営化是か非かということで国民は小泉純一郎に踊らされ、結局は自民党圧勝に終わったわけです。小泉というのはオモロイ奴やというイメージだけでとはいいませんが、そんな動機で選挙権を行使した人が結構いたのではないでしょうか。
最近の民放テレビの政治番組を見ていると、バラエティに限りなく近づいているのではないかと思ってしまいます。テレビ局の人たちが、そうでもしないと国民は見てくれないのだと思っているようですし、政治家もウケネライでしゃべらないと誰も注目してくれないと思っているようで、まるで売れない芸人のようです。それでいて、したり顔で「国民はそれほど馬鹿ではない」などとコメントするわけですが、彼らが馬鹿なように国民もやはり馬鹿なのでしょう。
ウケネライの政治家がテレビで発言し、それを電波に流すテレビ局もやはりウケネライ。うけることを言うかどうかだけで、政治家や政党の価値を決めているのが今の日本の政治だとしたら、なぜそんな風になってしまったのか。馬鹿から脱却して考えて見なきゃいかんと思うのです。
Posted by 南宜堂 at
23:22
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2008年09月23日
雪五尺
これがまあ終(つい)の栖(すみか)か雪五尺
一尺は約30センチですから、五尺といえば150センチ、一茶の故郷柏原ではこのくらいの雪はあたりまえだったのでしょう。小林一茶が江戸から柏原に帰り、ここを死に場所と決めた時の句です。「これがまあ」という言葉の中に一茶のあきらめの気持ちが込められているようです。
毎年雪の季節が近づくと、多くの百姓が柏原から江戸に出稼ぎに出て行きました。そうでもしないと気候の厳しい奥信濃では百姓は生活ができませんでした。その故郷に一茶は帰り、これから生活をはじめようとしているのです。俳人である一茶の目には、雪五尺の風景というのは、文字通りの一面の雪景色の原であると同時に文化の不毛も同時に感じたのではないか、この句を見て思ったのはそんなことです。
文化について都会の優位性をいうわけではありませんが、人口が多く猥雑である都会には、文化的にも多様なものが存在していて、そんな中から高い精神性をもったものが上澄みのように屹立しているのではないかと思っています。地方はすべてのものが均質であるだけに、可も不可もないような平凡なものばかりが幅をきかせている、そんな印象をもっています。
地方文化人というのが嫌いだということを前にこの欄で書いたことがあります。都会を食い詰めた文化人が地方にやってきて、東京ではなどといって地方の文化的なリーダーになる輩のことですが、一茶は故郷に帰ってもいわゆる地方文化人にならなかったところにその偉大さがあるのだと思います。といって決してローカルスターでは終わっていません。方言を使ったり、斜に構えて権力的なものに批判的な句を詠んだり、そんな中から人間の本質を突いたような句が生まれています。
一尺は約30センチですから、五尺といえば150センチ、一茶の故郷柏原ではこのくらいの雪はあたりまえだったのでしょう。小林一茶が江戸から柏原に帰り、ここを死に場所と決めた時の句です。「これがまあ」という言葉の中に一茶のあきらめの気持ちが込められているようです。
毎年雪の季節が近づくと、多くの百姓が柏原から江戸に出稼ぎに出て行きました。そうでもしないと気候の厳しい奥信濃では百姓は生活ができませんでした。その故郷に一茶は帰り、これから生活をはじめようとしているのです。俳人である一茶の目には、雪五尺の風景というのは、文字通りの一面の雪景色の原であると同時に文化の不毛も同時に感じたのではないか、この句を見て思ったのはそんなことです。
文化について都会の優位性をいうわけではありませんが、人口が多く猥雑である都会には、文化的にも多様なものが存在していて、そんな中から高い精神性をもったものが上澄みのように屹立しているのではないかと思っています。地方はすべてのものが均質であるだけに、可も不可もないような平凡なものばかりが幅をきかせている、そんな印象をもっています。
地方文化人というのが嫌いだということを前にこの欄で書いたことがあります。都会を食い詰めた文化人が地方にやってきて、東京ではなどといって地方の文化的なリーダーになる輩のことですが、一茶は故郷に帰ってもいわゆる地方文化人にならなかったところにその偉大さがあるのだと思います。といって決してローカルスターでは終わっていません。方言を使ったり、斜に構えて権力的なものに批判的な句を詠んだり、そんな中から人間の本質を突いたような句が生まれています。
Posted by 南宜堂 at
22:39
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