2013年09月11日
オリンピック
日本中が祝賀ムードなのだという。
思い起こせば、長野オリンピックの時、私はその関連の本の編集に携わっていた。招致活動に活躍し、ミスターナガノと呼ばれていた人が主宰する団体が発行した本だった。
おかげでいろいろな施設に入ることができたし、海外プレスの人たちの食堂で食事もできた。スポンサーを取材するとお土産ももらった。といっても私どもではせいぜいノベルティグッズの類だったが。
そんな中で結構裏の話も聞けた。今は「おもてなし」というようだが、当時は接待といった。IOCの委員にはこの接待とお土産が欠かせないのだということだった。オリンピックの後、会計帳簿が行方不明となり、結局焼却されたということになったようだが、結構赤裸々な内容の帳簿ではなかったかと思う。
そんなことで、オリンピックの綺麗事は信じなくなった。今回についても裏でどんなことがあったのか。推測でモノを言ってはいけないが、純粋に子供達に夢を的な気持ちで招致活動をしたわけではないだろう。
長野の時は、多くの県民はオリンピックはどうでもいいが、新幹線と高速道路がありがたいと露骨に思っていた。オリンピックがなければ再来年の金沢延伸の時まで、長野には新幹線は走らなかった。
オリンピックというのはいってみれば大きな運動会なのだから、国をあげてとか国威発揚などということは言わない方がいい。楽しみたいものが入場料を払ってみればそれでいいじゃないか。
長野オリンピックを近くで見た私の感想である。
それにしても、安倍晋三はG20を早退してまで、何で総会に行ったのだろうか。オリンピックが東京に決まれば何かいいことがあるのだろうか。
思い起こせば、長野オリンピックの時、私はその関連の本の編集に携わっていた。招致活動に活躍し、ミスターナガノと呼ばれていた人が主宰する団体が発行した本だった。
おかげでいろいろな施設に入ることができたし、海外プレスの人たちの食堂で食事もできた。スポンサーを取材するとお土産ももらった。といっても私どもではせいぜいノベルティグッズの類だったが。
そんな中で結構裏の話も聞けた。今は「おもてなし」というようだが、当時は接待といった。IOCの委員にはこの接待とお土産が欠かせないのだということだった。オリンピックの後、会計帳簿が行方不明となり、結局焼却されたということになったようだが、結構赤裸々な内容の帳簿ではなかったかと思う。
そんなことで、オリンピックの綺麗事は信じなくなった。今回についても裏でどんなことがあったのか。推測でモノを言ってはいけないが、純粋に子供達に夢を的な気持ちで招致活動をしたわけではないだろう。
長野の時は、多くの県民はオリンピックはどうでもいいが、新幹線と高速道路がありがたいと露骨に思っていた。オリンピックがなければ再来年の金沢延伸の時まで、長野には新幹線は走らなかった。
オリンピックというのはいってみれば大きな運動会なのだから、国をあげてとか国威発揚などということは言わない方がいい。楽しみたいものが入場料を払ってみればそれでいいじゃないか。
長野オリンピックを近くで見た私の感想である。
それにしても、安倍晋三はG20を早退してまで、何で総会に行ったのだろうか。オリンピックが東京に決まれば何かいいことがあるのだろうか。
2013年06月30日
薮の中
平安堂長野店のカフェゼミナールで1時間半ほどお話をさせていただいた。最近はすっかり真田と松代が持ちネタになってしまったようで、「真田一族と松代藩」の話を。とりとめもなく話してしまったようなのだが、実は密かに自分の中ではテーマを決めていたのだ。それがすなわち「薮の中」なのである。
江戸時代に作られた真田ものなのだが、大きく2つのものがある。元禄時代に書かれた実録小説といわれる「真田三代記」の系統と、松代藩内で書かれたいわゆる歴史書「滋野世記」とか「真武内伝」とかいわれるものの類いである。
真田氏のルーツについては、両者とも清和天皇の末裔であるということで共通しているのだが、信之の扱い、家康についての見解、幸村のことと全く別のとらえ方をしているのである。
「滋野世紀」に収録されている「上田軍記」は第一次・第二次上田合戦を中心に描いたものだが、この主人公は昌幸と嫡男の信之である。そしておもしろいと思ったのは、徳川方にも相応の活躍の場が与えられているのである。
さらには関ヶ原後の真田仕置きについても、昌幸・信之・家康三者それぞれに華を持たせたような記述になっているのである。籠城し最後の一兵まで戦おうという昌幸。このまま真田を亡ぼすのは惜しいという家康。そして、報賞はいらないからどうか父と弟の命を助けてほしいという信之、誰もがいい役割を与えられている。おそらくこれは、松代藩としての気遣いであろうと思う。信之については藩祖であるので当然のこと、その父親である昌幸にも十分の評価が与えられている。家康については真田ものでは悪人なのだが、松代藩としては東照権現を悪者にするわけにはいかない。
これに対して「真田三代記」は家康を徹底的に悪人にしている。また、信之についてはほとんど言及がないのである。大坂で作られた地下出版のようなものだから好きに書けたのであろう。それと太閤びいきの大坂の人々は家康嫌いのだ。読者の反応に敏感だったのだ。幸村が無敵の英雄のように描かれるのもそんな理由からなのかもしれない。
歴史は権力者の都合のいいように書かれるというが、その通りだと思う。明治維新についても然り、太平洋戦争についても安倍政権が続くと現在とは逆の見方が出てくるのだろう。江戸時代は徳川の絶対政権であったので、幸村は非合法な出版でしか活躍の場を与えられなかった。しかし、江戸時代も後半になると「敵ながらあっぱれ」的な視点で幸村も復権してきた。松代藩内でも幸村顕彰の動きは江戸時代からあったようだ。
最近芥川龍之介の「薮の中」を読み直してみた。以前読んだ時の印象で、ものの見方は人によって違う。ずいぶん曖昧なものだということがその内容だと思っていたのだが、そういうことではないようだ。男が死んで女が生き残ったという事実があって、それぞれのモノローグを綴りあわせたような短編小説だが、その言っていることがそれぞれに違う。男は自分が殺したというもの、自殺なのだというもの、それが語るものの立場や都合によって微妙に違う。
真田幸村に評価にしても、いろいろな人に語らせればその都度違う。真実は一つではないのだ。
江戸時代に作られた真田ものなのだが、大きく2つのものがある。元禄時代に書かれた実録小説といわれる「真田三代記」の系統と、松代藩内で書かれたいわゆる歴史書「滋野世記」とか「真武内伝」とかいわれるものの類いである。
真田氏のルーツについては、両者とも清和天皇の末裔であるということで共通しているのだが、信之の扱い、家康についての見解、幸村のことと全く別のとらえ方をしているのである。
「滋野世紀」に収録されている「上田軍記」は第一次・第二次上田合戦を中心に描いたものだが、この主人公は昌幸と嫡男の信之である。そしておもしろいと思ったのは、徳川方にも相応の活躍の場が与えられているのである。
さらには関ヶ原後の真田仕置きについても、昌幸・信之・家康三者それぞれに華を持たせたような記述になっているのである。籠城し最後の一兵まで戦おうという昌幸。このまま真田を亡ぼすのは惜しいという家康。そして、報賞はいらないからどうか父と弟の命を助けてほしいという信之、誰もがいい役割を与えられている。おそらくこれは、松代藩としての気遣いであろうと思う。信之については藩祖であるので当然のこと、その父親である昌幸にも十分の評価が与えられている。家康については真田ものでは悪人なのだが、松代藩としては東照権現を悪者にするわけにはいかない。
これに対して「真田三代記」は家康を徹底的に悪人にしている。また、信之についてはほとんど言及がないのである。大坂で作られた地下出版のようなものだから好きに書けたのであろう。それと太閤びいきの大坂の人々は家康嫌いのだ。読者の反応に敏感だったのだ。幸村が無敵の英雄のように描かれるのもそんな理由からなのかもしれない。
歴史は権力者の都合のいいように書かれるというが、その通りだと思う。明治維新についても然り、太平洋戦争についても安倍政権が続くと現在とは逆の見方が出てくるのだろう。江戸時代は徳川の絶対政権であったので、幸村は非合法な出版でしか活躍の場を与えられなかった。しかし、江戸時代も後半になると「敵ながらあっぱれ」的な視点で幸村も復権してきた。松代藩内でも幸村顕彰の動きは江戸時代からあったようだ。
最近芥川龍之介の「薮の中」を読み直してみた。以前読んだ時の印象で、ものの見方は人によって違う。ずいぶん曖昧なものだということがその内容だと思っていたのだが、そういうことではないようだ。男が死んで女が生き残ったという事実があって、それぞれのモノローグを綴りあわせたような短編小説だが、その言っていることがそれぞれに違う。男は自分が殺したというもの、自殺なのだというもの、それが語るものの立場や都合によって微妙に違う。
真田幸村に評価にしても、いろいろな人に語らせればその都度違う。真実は一つではないのだ。
2013年03月27日
なんでだろう2
八重の桜
大河ドラマの「八重の桜」の視聴率がパッとしないのだという。桜のように鮮やかに花開かないのか。視聴率というのはどうでもいいようなものだが、私の感想を記せばやはり面白くない。先日来たお客さんも、会津落城までは見るがその後は見なくなると思うと言っておられた。
なんでだろう
ドラマとして面白くないのだ。よくキャラが立つと言うが、このドラマの登場人物はキャラが立ってこないのだ。山本覚馬も八重も、脇を固める秋月も広沢もまるで存在感がない。多少は存在感があった佐久間象山も暗殺されたし、どのキャラクターを応援したらいいのかわからなくなってしまった。
小泉純一郎の息子が演じている慶喜など、うまくやれば近藤正臣の容堂ばりのキャラクターになると期待していたのだが、元総理の息子だから憎まれ役にはできないのかも知れない。
幕末ファン、会津ファンの人たちも物足りないのだと思う。新選組など血に飢えたテロリスト集団のように描かれたのではたまらないだろう。会津藩にしても、これまで表に出ることのなかったリベラル派の覚馬や秋月、広沢を中心にしたのでは物足りないだろう。
今回は歴史を描こうとするあまりの失敗だと思う。ドラマとしては面白くなく、歴史としては深みがない、そのための失敗作となってしまった。
タイトルが八重の桜だから、落城後も山本兄妹中心の展開になるのだろう。ドラマの制作意図を考えれば花は咲く不屈の展開こそが目指すところなのだろうが、こうなってくると私とて見たくなくなるのかも知れない。
私は八重や山川兄弟のように表舞台に出た人よりは、秋月悌次郎、広沢安任のように野に埋もれた人の戦後の生き様こそがドラマだと思っている。
そして、どうか白虎隊の自刃はさらりと描いて欲しい。
大河ドラマの「八重の桜」の視聴率がパッとしないのだという。桜のように鮮やかに花開かないのか。視聴率というのはどうでもいいようなものだが、私の感想を記せばやはり面白くない。先日来たお客さんも、会津落城までは見るがその後は見なくなると思うと言っておられた。
なんでだろう
ドラマとして面白くないのだ。よくキャラが立つと言うが、このドラマの登場人物はキャラが立ってこないのだ。山本覚馬も八重も、脇を固める秋月も広沢もまるで存在感がない。多少は存在感があった佐久間象山も暗殺されたし、どのキャラクターを応援したらいいのかわからなくなってしまった。
小泉純一郎の息子が演じている慶喜など、うまくやれば近藤正臣の容堂ばりのキャラクターになると期待していたのだが、元総理の息子だから憎まれ役にはできないのかも知れない。
幕末ファン、会津ファンの人たちも物足りないのだと思う。新選組など血に飢えたテロリスト集団のように描かれたのではたまらないだろう。会津藩にしても、これまで表に出ることのなかったリベラル派の覚馬や秋月、広沢を中心にしたのでは物足りないだろう。
今回は歴史を描こうとするあまりの失敗だと思う。ドラマとしては面白くなく、歴史としては深みがない、そのための失敗作となってしまった。
タイトルが八重の桜だから、落城後も山本兄妹中心の展開になるのだろう。ドラマの制作意図を考えれば花は咲く不屈の展開こそが目指すところなのだろうが、こうなってくると私とて見たくなくなるのかも知れない。
私は八重や山川兄弟のように表舞台に出た人よりは、秋月悌次郎、広沢安任のように野に埋もれた人の戦後の生き様こそがドラマだと思っている。
そして、どうか白虎隊の自刃はさらりと描いて欲しい。
2013年03月25日
なんでだろう その1
書肆月影のOさんから電話があった。5月の岡谷の古本市が具体化してきたとの報告をいただく。1日から8日まで岡谷市の3カ所で同時に古本市が開かれる。光風舎も協力させていただくことになった。詳細は主催者からの発表があってから。
そして現在開催中の町屋古本市の様子もお伝えした。連日大勢の方が来ているということを。店を構えて営業していてもお客さんが来ないのに、古本市だとどうしてこんなにお客さんが来てくれるのでしょうね。高遠で何年か古本屋をやり、現在はネット中心に販売しているOさんとしてはもっともな疑問だが、本当になんでだろう。
仮説だが、町屋古本市のお客さんはふだんあまり古本屋にはこない人たちなのだろう。そうでなければ徒歩10分ほどの光風舎が閑散としているのはおかしい。この人たちは是が非でも古本を買いたいという人ではないが、潜在的には何か面白い本があったらという思いはある人たちで、たまたま複数の古本屋が古本市をしていたので入ってみたという人たちなのだろう。
もしかしたら、このうちの何人かは古本屋の魅力を発見して古本屋のお客になっていただけるかもしれないが、大多数は古本屋にわざわざ足を運ぶことはないのだろうと思う。とすれば、古本屋を維持していくためにはこういったイベントも時々は必要なのだろうというのが私の結論である。
そして現在開催中の町屋古本市の様子もお伝えした。連日大勢の方が来ているということを。店を構えて営業していてもお客さんが来ないのに、古本市だとどうしてこんなにお客さんが来てくれるのでしょうね。高遠で何年か古本屋をやり、現在はネット中心に販売しているOさんとしてはもっともな疑問だが、本当になんでだろう。
仮説だが、町屋古本市のお客さんはふだんあまり古本屋にはこない人たちなのだろう。そうでなければ徒歩10分ほどの光風舎が閑散としているのはおかしい。この人たちは是が非でも古本を買いたいという人ではないが、潜在的には何か面白い本があったらという思いはある人たちで、たまたま複数の古本屋が古本市をしていたので入ってみたという人たちなのだろう。
もしかしたら、このうちの何人かは古本屋の魅力を発見して古本屋のお客になっていただけるかもしれないが、大多数は古本屋にわざわざ足を運ぶことはないのだろうと思う。とすれば、古本屋を維持していくためにはこういったイベントも時々は必要なのだろうというのが私の結論である。
2013年03月12日
テレビのちから
県内の某テレビ局の番組を製作する会社から、光風舎が発行した本に載っている写真を使わせてほしいとの電話があった。この本は復刻版で私に権利がないと説明し、ご自由にどうぞと申し上げた。こういう依頼は時々ある。昭和初期の善光寺表参道を写した貴重な写真だからだろう。町ににぎわいを的な番組にはよく使われる。許可願いは書面のこともあるし直接番組担当者が店に来てくれることがあるが、電話だけというのは初めてのことだ。
電話を切った後で少し釈然としないものを感じた。私は復刻しただけのものだが、それなりに思い入れのある本である。原本との出会いから復刻まで、そしてその後の反響を記していくとひとつの物語にもなるのだ。もちろんそんなことは製作会社の人が知るよしもないこと、彼らは単なる素材として絵になるものを探していただけなのだ。
地方の場合、テレビ・新聞・ラジオといったメディアの力はまだまだ絶大で、紹介されたことで売り上げが伸びるという話はよく聞く。もちろんメディアの人々がそんなことを鼻にかけてということはないだろうが、無意識のうちにそういう奢りが現れることはないのだろうか。紹介してもらう側もそのために媚びへつらうような態度にはなっていないのか。
先の写真集についても、私に許諾権があるなら番組の製作意図を聞いて、納得できたものだけに使ってもらいたいと思っている。メディアに対してはそのくらいの意地を張ってもいいのでは。
電話を切った後で少し釈然としないものを感じた。私は復刻しただけのものだが、それなりに思い入れのある本である。原本との出会いから復刻まで、そしてその後の反響を記していくとひとつの物語にもなるのだ。もちろんそんなことは製作会社の人が知るよしもないこと、彼らは単なる素材として絵になるものを探していただけなのだ。
地方の場合、テレビ・新聞・ラジオといったメディアの力はまだまだ絶大で、紹介されたことで売り上げが伸びるという話はよく聞く。もちろんメディアの人々がそんなことを鼻にかけてということはないだろうが、無意識のうちにそういう奢りが現れることはないのだろうか。紹介してもらう側もそのために媚びへつらうような態度にはなっていないのか。
先の写真集についても、私に許諾権があるなら番組の製作意図を聞いて、納得できたものだけに使ってもらいたいと思っている。メディアに対してはそのくらいの意地を張ってもいいのでは。
