2007年07月30日
勝ち馬に乗る
という言葉はないようです。「勝ち馬」とは競馬で一着になった馬のことなんですが、なんとなく勝ちそうな方に身をすりよせることを「勝ち馬に乗る」というのではないかと思ってしまいます。そういう言葉があるとしたら「勝ち馬につく」という方が正しいのかもしれません。
似た言葉に「尻馬に乗る」というのがありますから、これと混同してしまったのかもしれません。「無批判に人の後について、便乗的に事をすること。他人の言説に付和雷同すること。」と「広辞苑」にはあります。なかなか人間は孤独とか孤立には耐えられないようにできているようです。多くの人がAと言っているのに、いや私はBだというのは勇気がいります。多数意見に屈しながらも「それでも地球は回っている」と言ったのはガリレオですが、太平洋戦争中自分の信念を通して命を落とした人もいました。以前に紹介したテレビドラマ「パンとあこがれ」の相馬夫妻の息子は、みんな戦争に反対しなかったのだから仕方がない、と言って出征していきました。
今は民主主義の時代ですから、どんな少数意見も迫害されることはありません。しかし、そうは言っても日本人は「尻馬に乗る」ことが得意というか、孤立することを恐れているようです。人と変わったことをすることを極度に嫌う人が多いような気がします。それは自分の思考を論理的に組み立てていくことが苦手になったことが原因ではないかと思うのです。自分の意志というものが論理的に構築されていれば、少数意見でも自信をもって貫徹できるのではないでしょうか。
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23:40
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2007年07月28日
信州の七不思議
昨日紹介した「Hamidas」の中に信州の七不思議というのが載っています。面白いので引用させていただきます。
1 海遠くして塩辛きを好む
2 水清くして面洗わず
3 木多くして生木を焚く
4 茶の木なくして茶を好む
5 良き仏あれど仏心少なし
6 畑少なくして子だくさん
7 ことわり多くして事進まず
そんな馬鹿なと思われる方も多いとは思いますが、江戸時代の話ですから大目にみてやってください。善光寺に修行に来ていた越後の僧月性という人が信州の印象として書き残したものだということです。
当たっていると思うものもあれば、違うよというものもあるでしょう。あくまでもよそから来た一人の坊さんの印象ですから。ただ、ひとつひとつは詮索しないとして全体に「朴訥である」という印象が伝わってくるように思われるのですがどうでしょうか。
実際信州人は江戸の人たちには椋鳥といわれていたようでそんな川柳がいくつか残っています。また、大食らいという印象もあったようです。腹一杯食べさせれば一生懸命陰日向なくはたらくというのが江戸時代の信州人の代表的な姿でした。
そんな伝統は明治になっても引き継がれ、勤勉なのは働くことだけでなく勉学にも生かされ、優秀な政治家はなかなか出ないけれど優秀な学者を多数輩出したのが長野県でした。
何十年か前、車で新潟県に行くとまず道が立派なのに驚かされたものです。さすが角栄さんの地元だわいと思ったものでした。そういうことに対してうらやましいという思いはなかったとは言いませんが、一方で「おらっちはこれでいいんだ」という矜持といったらいいのでしょうか清貧であることへの誇りのようなものも感じていたのです。
それがいつの頃からか信州も道がよくなり、高速道路が走り、新幹線までできてしまいました。そうなってくると利益誘導型の政治はあたりまえのこととして信州でも受け入れられるようになりました。信州らしさというものがまたひとつ消えてしまったようでなんともやりきれません。
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23:23
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2007年07月27日
ワンコイン南宜堂 Hamidas 現代信州の基礎知識
村山健大+Bチーム 銀河書房1989年
長野県の地方出版物でいちばん売れたという伝説の本もいまや100円で買えるようになりました。中心になってつくった古川さんはいまや佐賀県知事となりはにわとテレビに出ているのを見かけました。17年前の本であるにもかかわらずいまだにおもしろい。たとえば「いかそうめんに関する一考察」では、
「海にかけるながのけん人の情熱はすさまじい。」とHamidasはいいます。「信濃の国」に「海こそなけれものさわに よろずたらわぬ事ぞなき」とあるのはいじけの裏返しというのです。長野県人は海を見ると感動するという、パブロフの犬のような条件反射が備わっているようなのです。そんなにも海にあこがれる信州人ですが、魚は苦手のようで鮮魚センターに行ってもどうしても干物を買ってしまうのが信州人だというのですね。
信州人に限らず人間というのは自分たちがカリカチュアライズされるのに倒錯的な喜びを覚えるようです。こんな本出されて「ふざけんじゃねえ」と言わずに1300円出して買ってしまった信州人が何万人もいたのですから。
しかし、最近では「信濃の国」もあまり歌われなくなりましたし、海だって高速ができて1時間も走らずに見ることが出来るようになりました。新鮮な魚だって長野でも食べられます。もう海なし県と馬鹿にはされないような状況になっています。そうすると「信州」と頭につけた本、長野県だけで流通している地方出版物もだんだんと売れなくなって地方出版社なんて絶滅種として保護されるようになるのかもしれません。そんなとき「昔はよう何万部も売れた本があったんだぜ」などと言うと「あのじいさんちょっと誇大妄想のけがあるから」といわれ、誰も相手にしてもらえなくなるかもしれません。
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23:29
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2007年07月26日
ワンコイン南宜堂 生きるかなしみ
山田太一・編 筑摩書房1991年発行
生きるということはさまざまな悲しみに出会わなければならないということは誰でもわかっています。わかっていますがなるべくはそういうことには目をふさいで楽しいことだけを考えていきたいというのが本音ではないでしょうか。だからこんなタイトルの本はどうにも売れそうにありません。
この本のなかには古今東西さまざまな人の文章が収録されています。いわばアンソロジーなのですが、その中から佐藤愛子は老いることの心構えを次のように述べています。「若い世代に理解や同情を求めて「可愛い老人」になるよりも、私は一人毅然と孤独に耐えて立つ老人になりたい。」
今の時代快楽が幸福であると信じられているようで、老いてもいつまでも若者のような感性をもち、恋愛をしなさいということが、可愛い老人の条件として求められているというのです。老人の側にもそんな風潮に乗り、可愛い老人を演出して悦に入っている人も多いようです。しかし、体と記憶の衰えは何ともしようがなく、容貌の衰えも隠せません。
芹沢俊介さんは、今の社会は「する」を基準にして成り立っているといいます。すなわち、何をしてきたか、何ができるかということがその人の価値を決めるというのです。だから、老いることで「する」ということが人並みに出来なくなることは淋しいことであるといいます。しかし、人は誰も老いを止めることはできません。
老いの過程というのはそんな「する」という価値観から「ある」という価値観への移行の過程であるといいます。多くの人はこの移行をなかなか受け入れられず、いつまでも「する」にしがみつこうとするのです。そこに「生涯現役」とか「老いてますますさかん」などという言葉がもてはやされるのでしょう。
「する」という価値観の中で生きてきた人が「ある」という価値観に自らを置くということはたいへん悲しいことです。私もこの年になってもいまだ何ができるかということにこだわっていることを認めないわけにはいきません。しかし、心身の衰えと共に徐々に自分を傍観者の場に置き、「晴耕雨読」を日常にしていくことを自分に言い聞かせていかなければならないのではないかと思うのです。
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21:09
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2007年07月24日
歴史上の人物
再現ドラマというものがあります。テレビのワイドショーなどで事件を再構成したドラマですね。あまり見かけない俳優さんなんかが出ていて、実際の当事者の方とは似ても似つかない人なんかが演じております。あれを見ていて思うのは、実際の事件をどこまで実際に再現できるのだろうかということです。おそらく主人公の言い分だけを聞いて作るわけでしょうから、その他の登場人物の心理状態とか思いなんかは主人公のフィルターを通してしか再現できないのではないでしょうか。芥川龍之介の短編「藪の中」を思い出します。
歴史上の人物などを主人公にしたドラマ、NHKの大河ドラマが代表的なものですが、あれなんかも一種の再現ドラマではないかと思うのです。その歴史上の人物は死んでしまっていますから、原作者というフィルターを通したドラマということになります。そのドラマは実際の歴史上の人物像とはずいぶん違うものになります。見る方はそのへんのところをわきまえて見なければいけないのですが、実際はどうも混乱があるようです。
今年は「風林火山」がブームということで、八幡原には連日多くの観光客がつめかけているようです。あそこは今でこそ整備されて史跡公園になっていますが、昔は何もなく文字通りの八幡原でした。それがNHK大河ドラマ「天と地と」の放映の時に信玄謙信一騎打ちの像ができて、なんとか古戦場らしくなってきたのです。しかし、何百年も前の古戦場の面影が残っているわけではなく、両雄の像を見て、ガイドの方の説明を聞いて何となく満足して帰るということなのでしょうか。
しかし、川中島の戦いは江戸時代に成立した「甲陽軍艦」をもとにしたもので、実際の戦いからずいぶんたってからのものであり、しかも武田中心のもので史実とは違っているのではないかといわれています。両雄の一騎打ちはなかったという歴史家も多くいますし、山本勘助の実在を疑う人もいます。
「講釈師見てきたような嘘をいい」といわれるように、けっこういい加減なことが史実としてまかり通っていることも多いのです。そんなことを考えていますと「事実とはなんなのか」ということを思ってしまいます。歴史家はそのために史料を調べ研究を重ねているわけですが、一方で一般には「嘘」が事実として流布されている。この乖離はどうやったら埋められるのでしょう。それとも埋める必要のないことなのでしょうか。写真は山本勘助の首と胴をあわせたという「胴合橋」
歴史上の人物などを主人公にしたドラマ、NHKの大河ドラマが代表的なものですが、あれなんかも一種の再現ドラマではないかと思うのです。その歴史上の人物は死んでしまっていますから、原作者というフィルターを通したドラマということになります。そのドラマは実際の歴史上の人物像とはずいぶん違うものになります。見る方はそのへんのところをわきまえて見なければいけないのですが、実際はどうも混乱があるようです。
今年は「風林火山」がブームということで、八幡原には連日多くの観光客がつめかけているようです。あそこは今でこそ整備されて史跡公園になっていますが、昔は何もなく文字通りの八幡原でした。それがNHK大河ドラマ「天と地と」の放映の時に信玄謙信一騎打ちの像ができて、なんとか古戦場らしくなってきたのです。しかし、何百年も前の古戦場の面影が残っているわけではなく、両雄の像を見て、ガイドの方の説明を聞いて何となく満足して帰るということなのでしょうか。
しかし、川中島の戦いは江戸時代に成立した「甲陽軍艦」をもとにしたもので、実際の戦いからずいぶんたってからのものであり、しかも武田中心のもので史実とは違っているのではないかといわれています。両雄の一騎打ちはなかったという歴史家も多くいますし、山本勘助の実在を疑う人もいます。
「講釈師見てきたような嘘をいい」といわれるように、けっこういい加減なことが史実としてまかり通っていることも多いのです。そんなことを考えていますと「事実とはなんなのか」ということを思ってしまいます。歴史家はそのために史料を調べ研究を重ねているわけですが、一方で一般には「嘘」が事実として流布されている。この乖離はどうやったら埋められるのでしょう。それとも埋める必要のないことなのでしょうか。写真は山本勘助の首と胴をあわせたという「胴合橋」

Posted by 南宜堂 at
21:15
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