2007年07月03日

そばとラーメン

 信濃では月と仏とおらがそば
の句碑が長楽寺にありました。長楽寺は姨捨にある寺で、芭蕉のおもかげ塚で有名です。この句碑の説明には作者不明とありましたが、私たちのこどもの頃は一茶の句と教わったものです。
 それほどに信州といえばそば、信州人は3食そばを食べていると他県の人は思っているようです。確かに私のまわりを見てもうるさい人がおりまして、何人か集まりますとそば談義に花が咲くのが信州人です。私はどちらかというとそばは苦手なのです。できればラーメンかうどんの方がありがたい。信州の年寄りのくせに弱ったものです。
 会津もそばが有名な所ですが、その会津の中でも喜多方だけはなぜかラーメンなのですね。
 さて、喜多方ラーメンが今ほど有名になる前の話です。仕事で喜多方に行ったことがありました。昼時あちらの方が案内してくれたのが「まこと食堂」。今でこそガイドブックに載っていたり、テレビでも紹介される有名店になったようですが、当時はなんの変哲もない大衆食堂でした。驚いたことは昼時になって客がたて込んできますと、店の居住空間にまで客席が広がっていくことでした。畳敷きの部屋にテーブルを置いて、壁には子供の時間割なんかが貼ってあったりして、よその家の居間におじゃましているような感覚でした。
 案内してくれた方は遠来の私に気を遣ってくれたのか、店でも高い方のメニューであるカツ丼を頼んでくれました。もちろんラーメンもメニューにはあったのですが、その頃はラーメンが名物だなどとは知りませんでしたから。
 間もなく運ばれてきたカツ丼を見てびっくりしてしまいました。なんとみそ汁のかわりに、ラーメンどんぶりいっぱいのスープがついているのです。喜多方ではみそ汁のかわりにラーメンのスープ飲むのか。もちろんそんなことはありませんが、ここの食堂ではごはんものを注文するとラーメンスープがついてくるのでしょう。店主のスープに対する並々ならぬ自信がなせる業なのか、それとも忙しい昼時にみそ汁をつくる手間をおしんでラーメンスープで代用させているのか。私は後者だと見ましたがどうなんでしょう。ちなみに、はじめてソースカツ丼を食べたのも会津でした。


「信濃の国」誕生の地です。作詞者浅井洌と作曲者北村季晴の住んだ家の跡です。
  

Posted by 南宜堂 at 00:16Comments(0)

2007年07月03日

そばとラーメン

 信濃では月と仏とおらがそば
の句碑が長楽寺にありました。長楽寺は姨捨にある寺で、芭蕉のおもかげ塚で有名です。この句碑の説明には作者不明とありましたが、私たちのこどもの頃は一茶の句と教わったものです。
 それほどに信州といえばそば、信州人は3食そばを食べていると他県の人は思っているようです。確かに私のまわりを見てもうるさい人がおりまして、何人か集まりますとそば談義に花が咲くのが信州人です。私はどちらかというとそばは苦手なのです。できればラーメンかうどんの方がありがたい。信州の年寄りのくせに弱ったものです。
 会津もそばが有名な所ですが、その会津の中でも喜多方だけはなぜかラーメンなのですね。
 さて、喜多方ラーメンが今ほど有名になる前の話です。仕事で喜多方に行ったことがありました。昼時あちらの方が案内してくれたのが「まこと食堂」。今でこそガイドブックに載っていたり、テレビでも紹介される有名店になったようですが、当時はなんの変哲もない大衆食堂でした。驚いたことは昼時になって客がたて込んできますと、店の居住空間にまで客席が広がっていくことでした。畳敷きの部屋にテーブルを置いて、壁には子供の時間割なんかが貼ってあったりして、よその家の居間におじゃましているような感覚でした。
 案内してくれた方は遠来の私に気を遣ってくれたのか、店でも高い方のメニューであるカツ丼を頼んでくれました。もちろんラーメンもメニューにはあったのですが、その頃はラーメンが名物だなどとは知りませんでしたから。
 間もなく運ばれてきたカツ丼を見てびっくりしてしまいました。なんとみそ汁のかわりに、ラーメンどんぶりいっぱいのスープがついているのです。喜多方ではみそ汁のかわりにラーメンのスープ飲むのか。もちろんそんなことはありませんが、ここの食堂ではごはんものを注文するとラーメンスープがついてくるのでしょう。店主のスープに対する並々ならぬ自信がなせる業なのか、それとも忙しい昼時にみそ汁をつくる手間をおしんでラーメンスープで代用させているのか。私は後者だと見ましたがどうなんでしょう。ちなみに、はじめてソースカツ丼を食べたのも会津でした。


「信濃の国」誕生の地です。作詞者浅井洌と作曲者北村季晴の住んだ家の跡です。
  

Posted by 南宜堂 at 00:06Comments(0)