2007年09月29日
信濃者
信濃では月と仏とおらがそば
と一茶も詠んでいるように、と言おうと思ったらこの句は一茶のものではないのだそうです。そもそもこれは俳句ではないのです。季語が多すぎる。
一般に季語があれば俳句、なければ川柳というのだそうですが、一茶の句など川柳といってもいいほどひねりがきいております。
雪降れば椋鳥江戸へ食いに出る
一茶の俳句かと思いきや、これは川柳です。江戸の人たちは信州人のことを椋鳥といって馬鹿にしていました。その理由はよくわかりません。冬になると、食い扶持を減らす為、雪深い信濃から江戸へ出稼ぎに出る人が多く、そんな人たちのことを詠んだ川柳です。
信州人は椋鳥のほか、そのものズバリ「信濃者」とか「お信」とか呼ばれて、江戸川柳には大食いの代名詞として登場します。
冬の内月三斗づつ食い込まれ
信濃者三杯目からは噛んで食い
人並みに食えば信濃は安いもの
こんな川柳を並べれば、若い女性からは「何よ失礼な」と言われそうですが、私ではなく江戸の人たちが言っていることですから誤解のないように。それにしても信州人は実際に大食漢だったのでしょうね。なぜなのか、山仕事をしている者が多かったので大食いになったと説明している本もありますが、実際は白米がめずらしかったのではないのでしょうか。山間地で高地ですから、そばや雑穀は穫れても米の収量は他国に比べて低かったものとおもわれます。おまけに出稼ぎに行く人たちの多くは、米の穫れない地方から出かけていったのです。しかし、川柳にもありますように、信州人はよく働いたといいます。これで大食いでなければ本当に助かるのだがと詠んだ川柳も多くあります。
「甲州の山猿 信州の椋鳥」と言われたように、江戸では田舎ものはさげすまれていたようです。そんな伝統は明治になっても続いていました。そんな中「志をはたしていつの日に過帰らん」と勉学に励んだ信州人は、いつのまにか「信州人は教育熱心」と尊敬されるようになったのでした。めでたしめでたし。
大食漢より教育熱心のほうが尊敬されるし正しい生き方ということになりますか。
と一茶も詠んでいるように、と言おうと思ったらこの句は一茶のものではないのだそうです。そもそもこれは俳句ではないのです。季語が多すぎる。
一般に季語があれば俳句、なければ川柳というのだそうですが、一茶の句など川柳といってもいいほどひねりがきいております。
雪降れば椋鳥江戸へ食いに出る
一茶の俳句かと思いきや、これは川柳です。江戸の人たちは信州人のことを椋鳥といって馬鹿にしていました。その理由はよくわかりません。冬になると、食い扶持を減らす為、雪深い信濃から江戸へ出稼ぎに出る人が多く、そんな人たちのことを詠んだ川柳です。
信州人は椋鳥のほか、そのものズバリ「信濃者」とか「お信」とか呼ばれて、江戸川柳には大食いの代名詞として登場します。
冬の内月三斗づつ食い込まれ
信濃者三杯目からは噛んで食い
人並みに食えば信濃は安いもの
こんな川柳を並べれば、若い女性からは「何よ失礼な」と言われそうですが、私ではなく江戸の人たちが言っていることですから誤解のないように。それにしても信州人は実際に大食漢だったのでしょうね。なぜなのか、山仕事をしている者が多かったので大食いになったと説明している本もありますが、実際は白米がめずらしかったのではないのでしょうか。山間地で高地ですから、そばや雑穀は穫れても米の収量は他国に比べて低かったものとおもわれます。おまけに出稼ぎに行く人たちの多くは、米の穫れない地方から出かけていったのです。しかし、川柳にもありますように、信州人はよく働いたといいます。これで大食いでなければ本当に助かるのだがと詠んだ川柳も多くあります。
「甲州の山猿 信州の椋鳥」と言われたように、江戸では田舎ものはさげすまれていたようです。そんな伝統は明治になっても続いていました。そんな中「志をはたしていつの日に過帰らん」と勉学に励んだ信州人は、いつのまにか「信州人は教育熱心」と尊敬されるようになったのでした。めでたしめでたし。
大食漢より教育熱心のほうが尊敬されるし正しい生き方ということになりますか。
Posted by 南宜堂 at
23:57
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