2009年10月03日
副長
土方歳三で思い出すのは作家北原亞以子さんである。まだ直木賞を取られる前、無名の頃のことであった。実力のある人だからと紹介されて短編を書いていただいたことがあった。
そのころ北原さんは広告代理店に勤めておられ、コピーライターの仕事をされておられた。打ち合わせに銀座の喫茶店を使ったのは、勤め先がそちらだったのだろうか。
土方のことを書きたいとよく言っておられ、それならぜひうちからというような話をしたと思うのだが、なかなか実現しなかったのは私の熱意が足らなかったのだろう。
阪神タイガースの熱狂的なファンということだった。そのうちに北原さんは直木賞を取られて多忙になり、書き下ろしの話は立ち消えになってしまった。
「週刊朝日」10月9日号が「今こそ、幕末維新に学べ!」という特集を組んでいる。その中に「副長官・副大臣は汚れ役に徹せよ」というタイトルで、北原さんが土方歳三について語っている。土方は無益な戦いを避けようと勝海舟と密約していたというのはちょっと無理な解釈として、副長の役割として汚れ役・恨まれ役に徹したのが土方であったのだという。
しかし、「土方歳三が現代に生きていたら、小沢一郎になった」という知り合いの言い分の方が北原さんの意見よりもおもしろかった。その人によれば小沢は希代の計略家である。策を弄してそれが的中することに無上の喜びを感じているようなところがある。
土方歳三も新選組を鍛え抜かれた最強の集団にすることに自分を賭けていたようなところがある。時勢よりも組織だったのではないか。
小沢一郎の風貌はどちらかというとやさ男の土方よりはいかつい近藤が合いそうだが、意外と共通性はあるのではないかと思う。
新選組と言えば暴力集団という認識がまだまだ根強い中で、土方の歴史認識の鋭敏さを強調したいという北原さんの意図はよくわかるのだが、ちょっと無理があるかなと思う。新選組が歴史を語るようになったのでは新選組でなくなってしまう。
そのころ北原さんは広告代理店に勤めておられ、コピーライターの仕事をされておられた。打ち合わせに銀座の喫茶店を使ったのは、勤め先がそちらだったのだろうか。
土方のことを書きたいとよく言っておられ、それならぜひうちからというような話をしたと思うのだが、なかなか実現しなかったのは私の熱意が足らなかったのだろう。
阪神タイガースの熱狂的なファンということだった。そのうちに北原さんは直木賞を取られて多忙になり、書き下ろしの話は立ち消えになってしまった。
「週刊朝日」10月9日号が「今こそ、幕末維新に学べ!」という特集を組んでいる。その中に「副長官・副大臣は汚れ役に徹せよ」というタイトルで、北原さんが土方歳三について語っている。土方は無益な戦いを避けようと勝海舟と密約していたというのはちょっと無理な解釈として、副長の役割として汚れ役・恨まれ役に徹したのが土方であったのだという。
しかし、「土方歳三が現代に生きていたら、小沢一郎になった」という知り合いの言い分の方が北原さんの意見よりもおもしろかった。その人によれば小沢は希代の計略家である。策を弄してそれが的中することに無上の喜びを感じているようなところがある。
土方歳三も新選組を鍛え抜かれた最強の集団にすることに自分を賭けていたようなところがある。時勢よりも組織だったのではないか。
小沢一郎の風貌はどちらかというとやさ男の土方よりはいかつい近藤が合いそうだが、意外と共通性はあるのではないかと思う。
新選組と言えば暴力集団という認識がまだまだ根強い中で、土方の歴史認識の鋭敏さを強調したいという北原さんの意図はよくわかるのだが、ちょっと無理があるかなと思う。新選組が歴史を語るようになったのでは新選組でなくなってしまう。