2008年11月27日
私は貝になりたい
ここに登場する清水豊松の遺書は実際に処刑された人のものなのだそうですが、ストーリーは脚本を担当した橋本忍の創作です。
橋本忍といえば黒澤明監督の一連の映画をはじめ、「砂の器」「ゼロの焦点」などの脚本を担当している、日本映画の良心を代表する脚本家であるといっても過言ではありません。今回のリメーク版も彼のシナリオを使っているということですから、その出来映えは想像できます。
しかし、前にも書きましたように、この映画が家族の愛の物語だなどという風にダイジェストされてしまうと、そうなんだろうかという思いにとらえられてしまうのです。
確かに、この映画の主人公清水豊松は、戦争という魔物に妻や子らとの間を引き裂かれて戦地に行き、せっかく復員してきたと思ったら、今度は戦時中の捕虜虐殺の罪でc級戦犯とされ、死刑に処せられます、
戦争は愛し合う家族の絆を引き裂く残酷なものだという主張はこの映画のバックボーンです。
しかし一方で、前に書いた上原良治のように家族のため、愛するもののために特攻隊員として死んでいくのだということもあったのです。
戦争のために家族を奪われるということと、愛するもののために戦うのだということ、ちょっと矛盾することのようですが、あの時代確かにあったのです。
橋本忍といえば黒澤明監督の一連の映画をはじめ、「砂の器」「ゼロの焦点」などの脚本を担当している、日本映画の良心を代表する脚本家であるといっても過言ではありません。今回のリメーク版も彼のシナリオを使っているということですから、その出来映えは想像できます。
しかし、前にも書きましたように、この映画が家族の愛の物語だなどという風にダイジェストされてしまうと、そうなんだろうかという思いにとらえられてしまうのです。
確かに、この映画の主人公清水豊松は、戦争という魔物に妻や子らとの間を引き裂かれて戦地に行き、せっかく復員してきたと思ったら、今度は戦時中の捕虜虐殺の罪でc級戦犯とされ、死刑に処せられます、
戦争は愛し合う家族の絆を引き裂く残酷なものだという主張はこの映画のバックボーンです。
しかし一方で、前に書いた上原良治のように家族のため、愛するもののために特攻隊員として死んでいくのだということもあったのです。
戦争のために家族を奪われるということと、愛するもののために戦うのだということ、ちょっと矛盾することのようですが、あの時代確かにあったのです。
Posted by 南宜堂 at 21:00│Comments(0)