2009年03月27日

象山口

■街角の郷土史 21
 存続か廃止か、そんな話題が聞かれるようになった長野電鉄屋代線はかつては河東線といわれていました。その名のように千曲川の東側を川の流れと並行して一両か二両編成の電車がのんびりと走っています。
 その松代駅から屋代方面に一つ目の駅が象山口です。駅というより停車場とでもいった方がいいような小駅ですが、「ぞうざんぐち」と読みます。この駅は、象山神社や象山記念館への入口にあるのでそうよばれているわけではなく、近くにある丘のような山、象山が象山口のいわれです。
 佐久間象山の雅号はこの象山にちなんだもといわれています。事実象山自らも「象山記」の中で次のように述べています。
「予廬之西南、巨陵奮起、其状厳然類象、土人目曰象山、則余亦遂以象山、而自号焉。」
 土地の人が象山と呼んでいるこの小山にちなんで雅号を象山としたというのです。
 「さくまぞうざん」か「さくましょうざん」か、県歌「信濃の国」にも歌われている偉人佐久間象山の読み方は人によって、あるいは文献によって異なっています。
 「信濃の国」では「ぞうざんさくませんせいも」と歌われるように「ぞうざん」です。このほか信濃教育会が編集した『象山全集』も「ぞうざんぜんしゅう」です。一方で「しょうざん」と読むのは県外の人に多いようです。例えばNHKが1974年に放映した大河ドラマ「勝海舟」では「さくましょうざん」だったということです。
 もし、象山も自らが書いているように生家近くの小山によったものであれば「ぞうざん」で正解でしょう。しかしこれでもまだ問題は残ります。土地の人たちはほんとうにこの小山を象山と呼んでいたのかどうかということです。
 井出孫六氏は、江戸時代の松代で象がそれほどポピュラーな動物であっただろうかと疑問を呈しています。それに一般には山の名をいうとき「ぞうざん」とはいわず「ぞうやま」というのではないかというのです。
 もともとこの山は竹山といわれていたようです。江戸時代の絵地図を見ると「竹山古城」と書かれています。
 延宝四年(1677)、麓に黄檗宗の象山恵明寺(ぞうざんえみょうじ)が開かれ、それから象山とよばれるようになったようです。
 さて再び佐久間象山の雅号に話をもどします。これまで見たように象山自身の証言、そして象山恵明寺の存在から地元の人たちが言い習わしているように、「さくまぞうざん」が正しい読み方と決めてもいいように思います。
 しかし、ここまで重要な物的証拠を故意示さないで話をすすめてきたのですが、近年になって大きな発見があったことをここで素直に申し上げなければいけません。発見したのは郷土史の泰斗小林計一郎先生です。長野市若槻の神社の幟の下書きに象山の署名があって、それには象山自らの筆跡で「シャウザン」とルビがふってあったのです。
 まさに動かぬ証拠というもので、象山が自筆で書いている以上、私も「ショウザン」で間違いはないと思います。しかし、何か後ろ髪をひかれるような思いが残るのです。
 県歌には「ゾウザン」とありますし、地元でも「ゾウザン」で通っています。さらには、雅号の由来として象山という小山のことを自らが述べているのです。また、わざわざ下書きに「シャウザン」とルビを振った意図は何だったのでしょう。
 ここからは私の想像ですが、最初は象山恵明寺のある象山にちなんで「象山」と雅号をつけ、「ゾウザン」といっていたのではないかと思うのです。ところがある時「ゾウザン」では呉音の「ゾウ」と漢音の「サン」が混じっていることに気づき漢音の読みである「ショウザン」に改めたのではないかと思うのです。
 しかし、そこは負けず嫌いの象山のこと、そのことを表だっては改めなかったのではないかと思うのです。そんなことで二通りの読み方が後々まで残ったのではないかというのが私の妄想的な推理です。
 幟の揮毫を依頼した人たちも、慣例に倣って「ぞうざんせんせい」と呼んでいたのではなかったかと思うのです。
 象山自身は徐々に「ショウザン」に収斂させていきたかったと思われるので「ショウザン」とよぶのが正しいとは思うのですが、どうも長年よびなれた「ゾウザン」も捨てがたく、多分私はこちらを使うのではないかと思います。



Posted by 南宜堂 at 23:46│Comments(2)

この記事へのコメント

こんばんは。

 佐久間象山自身が、二つの呼び方を用いていたという説、なるほどと思いました。では、どちらも正しいという訳ですね。あの時代の人たちは、自分の名前にも意外に大らかなところがありますから・・・。新選組の沖田総司も、手紙を書く時「総司」と書いたり「総二」と書いたりしていますよね。これで、読み方が「そうし」ではなく「そうじ」が正しいということが判った訳ですよね。
 でも、地元の人は、やはり呼び慣れた「ぞうざん」が正しいと思われるのでしょうね。また、幕末物がドラマに取り上げられるたびに、同じような論争が起きるのだとしたら、いっそ、ドラマ内で、象山自身に、その理由を語らせてみるのも、ひとつの手かもしれませんね。(^-^)
Posted by ちよみ at 2009年03月28日 00:14
ちよみさま
 佐久間象山というのはテレビ向きのキャラクターではないようで、いつも一癖ありげな人物設定になっています。主役は張れない人物なのですね。来年の大河は坂本龍馬だそうですが、ビートたけしか泉谷しげるあたりが象山をやったら面白いかもしれません。
 沖田総司の読みについてははじめて知りました。なるほど。
 佐久間象山の息子が親の敵討ちのために新選組に入ったという話が子母沢寛の「新選組始末記」?にありました。いつの間にかいなくなってしまったということですが。
Posted by 南宜堂南宜堂 at 2009年03月28日 07:51

 
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