2007年08月11日
デパートの屋上遊園地
「遊園地が充実する前、昭和30年代のなかばころまでは、デパートの屋上が子どもにとっての最高に楽しい遊園地だった。」(川本三郎「東京おもひで草」)
長野と東京の時差というのは、その頃は今とはくらべものにならないほどありました。デパートの屋上の遊園地のはしりは東京では松屋浅草店で、昭和6年の開店時には「スポーツランド」という名前であったということです。そこにはメリーゴーランド・自動木馬・豆自動車がおかれてこどもたちの人気を集めていたようです。
長野ではじめて登場したデパートは、前にもお話しした丸光で、昭和32年の開店時に遊園地があったのかどうかはわかりませんが、少なくとも数年後にはもう完成していたと考えていいでしょう。今のようにディズニーランドをはじめとするテーマパークのない時代の子供達にとってデパートは最高の娯楽施設だったと思います。屋上の遊園地で遊んで大食堂でお子様ランチを食べさせてもらうのが、年に何回かの贅沢でした。
その後相次いで長野の周辺にも遊園地ができました。城山動物園は長野唯一の動物園でしたが、たしか豆電車とか豆自動車といった遊具もあったと思います。
短い間でしたが地附山の山頂にも遊園地がありました。雲上殿からロープウェーで登るのです。ちょっと離れますが戸倉上山田ヘルスセンターにも遊園地がありました。
デパート屋上の遊園地の人気が衰えていくのは高度成長のカーブに反比例してではないかと思います。近くのデパートに行かなくとも、遊園地はあちらこちらにでき、マイカーで遠出ができるようになったのです。
前述の本のなかで川本三郎は述べています。「つい昨日のものが、今日はもうなくなっていく。「懐かしい」という独特の感情が生まれるのはそのためである。」私たちが懐かしいと思うのは、せいぜいが昭和時代のものまでなのかも知れません。それ以前のものはもう歴史になってしまって、懐かしいという親しみはなくなってしまうのでしょう。
Posted by 南宜堂 at 21:51│Comments(2)
この記事へのコメント
Posted by みうみうBETTY at 2007年08月13日 00:55
みうみうBETTY
家が長野市の南にあるせいかジャスコは数えるほどしか行ったことがありません。迷路のような駐車場が印象に残っています。ジャスコは閉店ですが。わたしどものような年のものにはスーパーやデパートが華やかだった時代と、それが衰退していく時代を両方見ていますので感慨深いですね。中央通りにだって魚力、はやしべ、長崎屋、ダイエー、丸善、ヴィーナス、名店デパート、権堂にはユニーとスーパーがたくさんあった時代がありました。あそこに買い物に行っていた人たちは今どこで買い物してるんでしょうね。
かつてのSBC通りは学生時代療養所行きという長野電鉄のバスにお世話になったことがありました。あの道だってかつては相ノ木通りのバイパスだったのですね。相ノ木経由というバスに乗ると、庇に接するようにして走っていました。北国街道は風情ある相ノ木通りとして現在も魅力ある町並みを残していてくれますが、SBC通りはどんな風になっていくのでしょうか。心配です。
家が長野市の南にあるせいかジャスコは数えるほどしか行ったことがありません。迷路のような駐車場が印象に残っています。ジャスコは閉店ですが。わたしどものような年のものにはスーパーやデパートが華やかだった時代と、それが衰退していく時代を両方見ていますので感慨深いですね。中央通りにだって魚力、はやしべ、長崎屋、ダイエー、丸善、ヴィーナス、名店デパート、権堂にはユニーとスーパーがたくさんあった時代がありました。あそこに買い物に行っていた人たちは今どこで買い物してるんでしょうね。
かつてのSBC通りは学生時代療養所行きという長野電鉄のバスにお世話になったことがありました。あの道だってかつては相ノ木通りのバイパスだったのですね。相ノ木経由というバスに乗ると、庇に接するようにして走っていました。北国街道は風情ある相ノ木通りとして現在も魅力ある町並みを残していてくれますが、SBC通りはどんな風になっていくのでしょうか。心配です。
Posted by 南宜堂 at 2007年08月13日 09:42
さみしくて、今日も行ってしまいました。。。もう1回くらいまた行くかもしれません。。さみしい限りです。