2007年09月27日
芭蕉の善光寺詣り
松尾芭蕉は「更科紀行」の旅で善光寺にも詣り、次の句を残しています。
月影や四門四宗も只一つ
この句は善光寺の性格をよく表したものとしてガイドブックなどにも載っています。つまり、善光寺は一宗派にこだわることのない寺で、すべての人に門戸を開いているということのたとえによくこの句が使われるというわけです。四門四宗というのは仏教用語で、仏門にはいるためには四つの門があり、仏の教えにも四つの宗派があるのだが、善光寺はそれを越えてただ一つの仏の道をあらわしているということなのでしょう。
芭蕉がお詣りした善光寺の本堂は、私たちが現在見ているものではありません。善光寺の本堂は度重なる火事で何度も建て直されており、現在の本堂は宝永4年(1707)に完成したものです。芭蕉が参詣した頃の本堂は寛文如来堂といって、現在のものより小振りで場所も今の仲店延命地蔵のあたりにあったのです。
とまあそんな話はみんな善光寺関係の本を見れば載っていることで、ことさら目新しいことではありません。ついでにかつて善光寺には四方に門があり、それぞれに名前があったということなのですが、その資料がみつからないのでこのことはちょっと断定的には申し上げられません。
話はそれましたが、芭蕉の善光寺詣りにもどしまして、目的は姨捨の月見ですからまあ善光寺詣りは付録のようなもの、せっかく信濃に来たのだからと立ち寄ったものなのでしょう。しかし、天下の芭蕉翁です。来たからには何か一句ということになります。おそらく善光寺にて詠めるなどということで後世まで残るに違いない。ここで芭蕉に緊張が走ったのだと思います。
また脱線しますが、最近のプッチンプリンのコマーシャル、しかめつらしいおじさんたちが会議をしています。そこでひとりのおじさんが「ブッ」とやるあれですが、芭蕉もあんな風にやったら受けたろうになと思います。
さて、芭蕉先生善光寺でどんな句をひねるのか、まわりが固唾を呑んで見守ります。そこで「松島やああ松島や松島や」的な句を披露したら面白かったろうにと思うのですが、そこは俳聖そんなわけにはいきません。
オーソドックスに善光寺を讃える句を披露し、一座に「ほー」という安心感が走るというわけなのですが、そんな緊張感の中で詠んだであろう句はあまりおもしろくありません。さすが芭蕉で善光寺の本質をとらえあとあとの文献にまで引用されるような句には違いないのですが、個人的にはあまり良い句とは思いません。
身にしみて大根からし秋の風
あるいは一茶の
負さって蝶も善光寺詣かな
なんて句のほうが素直で好きです。俳聖もたいへんなんだと思います。タイガースの藤川と一緒ですから、失敗は許されないわけです。常にパーフェクトがもとめられるわけですから。そんな中でも完璧な仕事をしてきたからこそ後世に残る松尾芭蕉があるのかもしれません。
写真は芭蕉面影塚

Posted by 南宜堂 at 06:58│Comments(0)