2010年08月29日
日々是好日 車中泊
今年の夏休みは、高速のサービスエリアや道の駅に車を止め、その中で一夜を明かすといういわゆる車中泊をする人たちが増えているのだという新聞記事があった。中にはキャンピングカーを用意して、自炊などもできるようにして旅をする人もいるのだという。しかも家族連れで行うという人が多いというのだ。
そんな記事に目がいったのは、このたびの旅でわたしもそれをしたからなのである。スケジュールを決めた旅ではなかったし、寝たくなったら寝て、走りたくなったら走るという旅であったからだが、宿泊費を浮かせようという思いもなかったわけではない。こんなことは今までもやってきた。車中仮眠である。しかし、この新聞記事の旅人たちは本格的に最初からそのつもりで準備している人たちのようである。
増えてきたといっても、まだまだ少数派であるからそれほど問題にもならないのだろうが、もっと大勢の人がこんな旅をするようになれば、ゴミの問題からはじまって、防犯、公共の場を占有することの是非といったことが問題化するのではないかと思う。車中泊で旅行するというのは、社会的には異端の行為のような気がするので、あまりにおおっぴらにすることではないのではないかというのが私の思いだ。
実はこのことは今日のテーマではない。もう10年以上も前のことだが、ある書店の店長をやっている方から聞いた話である。その人は子供がいなかったので、仕事をやめたら、軽のワゴン車を買って、奥さんと二人で車に泊まりながら日本中を旅するのが夢だというのだ。その時はほのぼのとした夢の話として聞いていたのだが、いざ自分がそんな年になってくると、そんな話が妙に現実味を帯びて思い出されてくるのである。
その人はたいへんに夫婦仲のいい人だったので、そんなことを思うのだろうが、これが仲のよくない夫婦ならどうなのだろうとか、仲が悪いということではないが、夫の道楽にはつきあいきれないという妻だっているのではないかと、いろいろなことを考えるのである。
偕老同穴とか比翼連理とか、夫婦の絆をうたった言葉は多い。そういうものを規範として育ってきた人たちはそうあらねばならないと努めてきたことであろう。しかし最近のように自分の感性に忠実に生きることが自分らしい生き方だともてはやされるようになると、そんな道徳は隅の方に押しやられてしまいそうである。
実は南宜堂には配偶者はいない。だからそんなことは自分とは関係ない世界の話で、軽ワゴンを買って旅をするにしても一人である。何の遠慮もなく勝手にやれるのである。「ざまあみろ」と言えばそれまでだが、違和感を抱きながらも男と女が共に一つ屋根の下に暮らしているという、そういう老後のあり方を真剣に考えないと、やはりまずいのではないですかという思いもあるのである。
そんな記事に目がいったのは、このたびの旅でわたしもそれをしたからなのである。スケジュールを決めた旅ではなかったし、寝たくなったら寝て、走りたくなったら走るという旅であったからだが、宿泊費を浮かせようという思いもなかったわけではない。こんなことは今までもやってきた。車中仮眠である。しかし、この新聞記事の旅人たちは本格的に最初からそのつもりで準備している人たちのようである。
増えてきたといっても、まだまだ少数派であるからそれほど問題にもならないのだろうが、もっと大勢の人がこんな旅をするようになれば、ゴミの問題からはじまって、防犯、公共の場を占有することの是非といったことが問題化するのではないかと思う。車中泊で旅行するというのは、社会的には異端の行為のような気がするので、あまりにおおっぴらにすることではないのではないかというのが私の思いだ。
実はこのことは今日のテーマではない。もう10年以上も前のことだが、ある書店の店長をやっている方から聞いた話である。その人は子供がいなかったので、仕事をやめたら、軽のワゴン車を買って、奥さんと二人で車に泊まりながら日本中を旅するのが夢だというのだ。その時はほのぼのとした夢の話として聞いていたのだが、いざ自分がそんな年になってくると、そんな話が妙に現実味を帯びて思い出されてくるのである。
その人はたいへんに夫婦仲のいい人だったので、そんなことを思うのだろうが、これが仲のよくない夫婦ならどうなのだろうとか、仲が悪いということではないが、夫の道楽にはつきあいきれないという妻だっているのではないかと、いろいろなことを考えるのである。
偕老同穴とか比翼連理とか、夫婦の絆をうたった言葉は多い。そういうものを規範として育ってきた人たちはそうあらねばならないと努めてきたことであろう。しかし最近のように自分の感性に忠実に生きることが自分らしい生き方だともてはやされるようになると、そんな道徳は隅の方に押しやられてしまいそうである。
実は南宜堂には配偶者はいない。だからそんなことは自分とは関係ない世界の話で、軽ワゴンを買って旅をするにしても一人である。何の遠慮もなく勝手にやれるのである。「ざまあみろ」と言えばそれまでだが、違和感を抱きながらも男と女が共に一つ屋根の下に暮らしているという、そういう老後のあり方を真剣に考えないと、やはりまずいのではないですかという思いもあるのである。
Posted by 南宜堂 at 13:27│Comments(0)
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