2008年03月31日

それからの佐平次

 落語家の立川談志が高崎映画祭で「幕末太陽傅」の話をするということです。ご存知のように、川島雄三監督の「幕末太陽傅」は落語「居残り佐平次」が原作ですから、まあ談志がこの映画の話をするというのもわかります。「新釈落語噺」という本の中で談志は「居残り佐平次」が理想の生き方だと書いています。
 世の中すべてが成り行き次第というのが、佐平次の生き方、吉原に繰り出すのも成り行き、自分一人が居残るようになるのもなりゆき、居残り先でよいしょをしまくるのも成り行きなら、開き直って遊郭の主人を強請るのも成り行きということです。
 川島監督の「幕末太陽傅」は、時代を幕末に設定し、高杉晋作を登場させ、時代に立ち向かおうとする志士たちの生き方と対応させながら、しぶとく生きる庶民佐平次の中に自らを照射させて描いているようです。川島監督は病弱であったようですが、主演のフランキー堺には画面いっぱいに駆け回らせています。そして、時々へんな咳をする佐平次。
 談志はこんな川島監督のインテリぶりがどうも気に入らないようなのです。それでいて、自らの演出した「居残り佐平次」にはこんな台詞を入れています。「妙な奴だよ、こないだ根津の権現様あ詣ったとき、きざはしの下んとこの暗いとこで、頭の上に鳩お乗っけて座っていたよ」
 しかし、物思いにふけったり、暗い顔をするという落語の登場人物というのはどうもらしくありません。
 川島監督はラストシーンで現代の品川の町を駆け抜ける佐平次を描きたかったようですが、周囲の反対で断念したということです。生きたい、生きろというメッセージを伝えたかったのでしょうか。



Posted by 南宜堂 at 00:43│Comments(0)

 
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