2013年01月21日

佐久間象山と会津藩

 今年の大河ドラマでは佐久間象山がまともな描かれ方をしていて、信州人としては嬉しいのだが、前回では松代蟄居が決まって国元に去り出番は終わってしまった。もし再登場の機会があるとするならば、赦されて上洛してからのこととなるだろう。上洛したのは元治元年三月にことであった。
 この時、会津藩主松平容保も京都守護職として京に在った。象山は、会津藩士広澤富次郎、山本覚馬らと謀って、天皇を彦根に遷し、さらには江戸に迎えようとした。この計画が描かれるなら象山の再登場もあると思うのだが。
 それはさておき、このドラマ象山が重要な役割を帯びて登場したあたりから、先行きが少々不安になってきた。当時の情勢を考えたならば、象山と会津藩はまったく正反対の方向を向いていたわけで、象山を正論とすれば会津は狂言まわしのような役割を担わされてしまうのである。案の定今回は会津の頑迷さを見せつけられる場面の連続であった。その中で一人山本覚馬だけが正論を吐き、藩の重臣から譴責をくらってしまうのである。
 確かに象山が予言した形で近代日本はスタートし、今に続いている。象山が予言し得なかった点は、いわゆる民主主義・民本主義という政治形態だが、東洋道徳の象山にはそんな発想はなかったと思う。近代日本の行き着いた果ての今の日本を見るとき、果たして進歩を万能とする思想が正しかったのだろうかと思うのである。
 私は「ならぬことはならぬ」というあの什の掟と称するものは嫌いである。白虎隊を崇め奉る風潮も嫌いである。しかし、新しいものに容易に飛びつかないあの頑迷さは大事ではないかと思う。それも度が過ぎると身を滅ぼすことになるのだが。
佐久間象山と会津藩


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Posted by 南宜堂 at 09:53│Comments(0)幕末・維新

 
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