2008年12月02日
本の町 蛇足
この「本の町」の構想に、杖突街道の長藤文庫は参加していないようです。これはあくまでも私の想像ですが、「本の店」と「長藤文庫」と2つに別れたのはこの「本の町」が原因なのかなと思います。
「本の町」というのは、高遠を何とかしたい、出版や本の未来を明るいものにしたいという願いから起こったものでしょう。この構想に長藤文庫の店長さんが参加しなかったのは、時計を少し巻き戻して自分の足下から見直してみたかったのではないかと、短時間の印象ですが、そんなことを感じました。
私のような地方に長く住んでいる者でも、農業を離れて何代かが経ちました。ましてや都会に住む人たちには耕すとか自然を相手にするとかいった日常からすっかり離れて、そんな時代があったことすら忘れてしまっているのではないかと思います。
地域で生きていくという覚悟は、時には進みすぎた都会の時間を巻き戻して、その地域の時間にあわせるところから出発すべきではないか。長藤の店長さんが感じたのはそんなことではないかと想像するのです。
本の町の構想もいったんは高遠の時間に戻してそこから発想していかないとなかなか成功は難しいような気がします。
「本の町」というのは、高遠を何とかしたい、出版や本の未来を明るいものにしたいという願いから起こったものでしょう。この構想に長藤文庫の店長さんが参加しなかったのは、時計を少し巻き戻して自分の足下から見直してみたかったのではないかと、短時間の印象ですが、そんなことを感じました。
私のような地方に長く住んでいる者でも、農業を離れて何代かが経ちました。ましてや都会に住む人たちには耕すとか自然を相手にするとかいった日常からすっかり離れて、そんな時代があったことすら忘れてしまっているのではないかと思います。
地域で生きていくという覚悟は、時には進みすぎた都会の時間を巻き戻して、その地域の時間にあわせるところから出発すべきではないか。長藤の店長さんが感じたのはそんなことではないかと想像するのです。
本の町の構想もいったんは高遠の時間に戻してそこから発想していかないとなかなか成功は難しいような気がします。
Posted by 南宜堂 at 00:39│Comments(0)
│本の町