2009年08月25日

龍馬と歳三 3

 それからの二人の生き様は、司馬遼太郎の小説などでおなじみなのであるが、そのことをここで紹介するのが目的ではない。江戸時代の身分制度というものが、坂本龍馬や土方歳三の活動のジャンプ台になったのだろうかというような素朴な興味があったのである。
 歳三は多摩の百姓の倅である。土方家は経済的には恵まれた農家であった。しかし、士農工商の農、百姓であるのには間違いがない。幕末、多摩の百姓の間では剣術を習うのが流行であった。歳三も天然理心流の近藤勇に入門している。その近藤勇の試衛館道場の主要メンバーが上洛して新選組となるのだが、彼らのほとんどが武士ではない。
 一方の坂本家は郷士である。土佐の郷士身分というのは、関ヶ原以前長宗我部の家臣であったものが、山内の時代となって家臣から外れたもので、山内の家臣とは歴然とした身分差別があった。しかし、坂本家の本家は才谷屋という豪商であり、龍馬も経済的には裕福な家庭の子であったことは土方歳三と同じである。
 新選組を結成し、その組織を増大させていった近藤勇や土方歳三の行動を見ていると、彼らの何としても武士になりたいという執念は、時には滑稽なほどにいじましいものがある。多摩の百姓剣法で一生を終えてもよかったはずである。彼らの武士になりたいという思いの底に、厳然としてある士農工商の身分制度への嫌悪というものがあったのだろうか。
 例えば島崎藤村の小説「夜明け前」の主人公青山半蔵は木曽の名主であるが、代官によって収奪される農民たちの姿に同情し、新しい時代への期待を寄せる。どうも近藤や土方の周囲からはそんな切実なものが見えてこない。彼らの武士へのあこがれは多分にスタイルのようなものではなかったのかという気もするのだ。武士というスタイルへのあこがれ、それは彼らが作った局中法度とよばれるものの一条一条からも読み取れるし、甲陽鎮撫隊として多摩を通過した時の大名行列のようなその振る舞いからも感じられる。


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Posted by 南宜堂 at 19:37│Comments(0)幕末・維新
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